2013年12月23日月曜日

あなたには力がある

あなたには、自分で思っているよりも遥かに人を動かす力がある。あなたが使えるリソースには何があるかを把握しておけば、難しい場面でも人を動かせるようになるのだ。(『影響力の法則〜現代社会を生き抜くバイブル』2005 デビッド・ブラッドフォード&アラン・コーエン 税務経理協会 P119)

    今年も数多くの優れたマネジャーたちとお話しする機会に恵まれました。みなさんが優れた専門知識を持ち、すばらしい経験と実績を積んでおられることに、感銘を受けました。あるマネジャーは、セールスプロモーションのプログラムを企画しクライエントの新製品の販売を助けており、別のマネジャーは薬剤の開発を通じてがん患者のQOL改善に取り組んでいました。ご自分の仕事に誇りを持っており、楽しんでいるマネジャーの話を伺うのは、私にとっても大きな楽しみです。
   一方で多くのマネジャーが「自分にはたいした力はない」と思っているのには驚きます。権限がないから、上司が反対するから、だから会社では思うような仕事ができない、と口にするのです。

   でもそうでしょうか。
   「影響力の法則」では、人を動かす力は、“カレンシーの交換”によって引き出されると考えます。相手にとって価値ある何か(カレンシー)を受け取れば、相手はこちらに協力したくなるというものです。たとえば、金銭的な報酬は、高い目標を達成させるためのカレンシーになるのかもしれません。営業担当者には、このインセンティブに動機付けられて仕事をしている人が多いでしょう。
   しかし、現実に何がカレンシーになるかは、相手が置かれている状況によってさまざまです。承認、励まし、感謝などで、相手の力を発揮させられることが多いと思います。上司から日頃の努力への感謝の言葉を聞いた時、この上司のために全力を尽くそうと思った、といった話をしばしば聞きます。任されたとき、仲間に信頼されていたとき、力を発揮できたとも聞きます。上司に対してはどうでしょうか。上司にとってメンバーのコミットメントほど心強いものはありません。「必ずやりとげます!」というひとことと、その裏付けは大きなカレンシーになります。
   実際は、私たちはいろいろな方法で関係者を動かしているのです。
   つまり、様々なリソースがカレンシーになりうるということ。交換モデルを使えば、可能性はぐっと開けるのですね。それは「あなたにもできる」ということです。新しい年、今までムリと思っていた状況が変わりますように。

2013年11月5日火曜日

長期的な投資

現在の仕事に邁進し、そのためにいかに人を動かすかばかりを考えていると、長期的な視点を忘れやすくなる。長期的な視点を意識して、仕事上で接点のある(および将来的に可能性のある)人たちが必要としそうなカレンシーは何かを、考えるようにしたい。(『影響力の法則〜現代社会を生き抜くバイブル』2005 デビッド・ブラッドフォード&アラン・コーエン 税務経理協会 P72)

   買い物に行くと、いかに素晴らしい製品かと上手に説明する販売員に会うことがあります。こちらの心をつかみ、ほしいと思わせます。見事な話術です。でも、購入したものの、その後相談に乗ってくれないとしたら、二度は取引したくないと思うでしょう。

   上司と部下、同僚同士でも、同じことが言えないでしょうか?

   部下は、上司に「協力した」「貸しができた」と思っているかもしれないのです。それなのに、なんの見返りもなければ、上司に対して不満を感じても不思議はありません。部下の立場で考えるなら、仕事にエネルギーを注がないのは、仕事に対してやる気が無いからではなく、上司を助けたいと思わない、のかもしれません。

   部下の力を引き出そうと思ったら、部下と継続的にカレンシーを交換する必要があります。それは、感謝を伝える、学習の機会を与える、など様々な選択肢があります。食事に誘うのも、悩みを聞くのもいいでしょう。でも、何もしなければ、難しいプロジェクトに取り組もうという時に、部長になった時に、部下の貢献を引き出せなくなってしまう。あなた自身のチャンスを逃してしまうかもしれないのです。

2013年10月2日水曜日

自惚れ

「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無きものは、かつて達せられたことのない人間性の段階まですでに登りつめたと自惚れるのだ」(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚訳)

    精神と心情のないによって行われるカレンシーの交換は、社会を不安定にします。いわゆるリーマン・ショックは、その典型的な結末でしょう。やっかいなのは、そんな結末の直前まで、反省しないことです。
    自分の弱さを認めないと。でも認めたくないですね。だから厄介なんです。

2013年9月23日月曜日

相手を追い詰めないこと

たとえ、自分がその原因をつくったとしても、人は自分が劣勢だとは感じたくないものだ。それゆえ、難しい交渉で自分が成功したときは、相手の尊厳を損なわないでしめくくる工夫を考えよう。(『影響力の法則〜現代社会を生き抜くバイブル』(2005 デビッド・ブラッドフォード&アラン・コーエン 税務経理協会 P213)

   自分が勝者になろうとしているときに、相手を追い詰めてしまえば、たいていの相手は力で抗おうとするでしょう。その場で抵抗しなくても、いつか足を引っ張ってやろうとする。そういう相手の心理は、こちらも感じます。相手によっては、脅威を感じます。すると、やられる前にやり返したくなる。どちらが追い詰めた猫で、どちらが窮鼠かは、ケースバイケースです。ただ、いずれにしてもネガティブなカレンシーは残ってしまいますね。

   現代の戦略論では、全体的な優位がない限り、追い詰めるのは得策じゃない、ということになっていると思います。いつかやり返されるからです。力づくで占領して統治するのは難しいのです。
   カレンシーの交換をすすめるときも、交換後の影響を考慮する必要があります。相手の尊厳を考えよ、というのはそういう意味があるのですね。

2013年7月24日水曜日

否定的な価値の交換

先述の通り、価値の交換には前向きなものと後ろ向きなものがある。建設的な価値の交換は「あなたの利益になることをしますから、私にも利益になることをしてください」である。対して「あなたがしてくれないのなら、私もあなたのためになることをしません」た、否定的な価値の交換である。(コーエン&ブラッドフォード『影響力の法則 現代社会を生き抜くバイブル』税務経理協会p31)

   うまくいかない相手との場当たり的な交換は、自然に否定的な交換の繰り返しに行き着きます。そうすれば、一時的にはこちらが勝利しても、結果的に双方に不利益をもたらすことになってしまいます。ある若いマネジャーは、ベテランの部下を使いあぐねていました。なかなか指示に従わない。会社への不平を若手社員に吹聴する。チーム全体の士気が下がってしまう、そのベテランが原因になっているようです。マネジャーはその時のいらだちを説明してくれました。「私は、いかにして相手を操作するかに夢中になっていました。でも、それでうまくいくことはありませんでした」
   この流れを変えるには、否定的な価値の交換を止めなければなりません。そもそも、否定的な交換が行われていることを認識しなければなりません。

2013年6月18日火曜日

よい結果を求めるほうが影響力は高まる

自分がすべきことではないという理由で、相手が協力しやすい方法を使うのを嫌がり、自らの影響力を損なう人がいる。彼らの考えではこうだ。「同僚が動くのは、私の依頼内容が正しいという理由で動くのでなければならない。私から相手を動かそうとすべきではない」(コーエン&ブラッドフォード『影響力の法則 現代組織を生き抜くバイブル』税務経理協会p77)

    ある人事部門のマネジャーの方で、自分のサービスが正しいのだから、従業員は私の指示に従うべきだ、という強い信念を持っている方がいました。彼は、自分のデスクから決して動こうとせず、せっせと部下や現場に指示を出していました。しかし、いずれの施策も効果を上げられません。彼の態度が尊大であると現場で嫌われていたのです。それに気づかず、彼はいつも苛立っていました。
    以前はこういう方が管理部門にはしばしば見受けられました。最近は、管理部門の役割が変わってきており、このようなマネジャーは減ったかもしれません。でも、自分の方が相手よりも上だと考えると、似たような態度をとる人はまだまだ多く見られます。例えば、上司や専門家には、少なからず見かけます。

    本当に求められているのは必要な結果を出すことなのか、自分の正しさの証明なのか、よく考えなければいけません。答えは明らかで、目標を果たし求める結果を出すことです。結果を出すためなら先に動くこと、カレンシーの交換をこちらから仕掛けるのが、結局近道というわけです。

2013年6月10日月曜日

メンバーはリーダーの心を読もうとする

コミュニケーションは常に複雑である。しかも、権限と階層がかかわると、一層誤解しやすくなる。(中略)この経験を積むと、上司の言葉に先入観を抱くようになる。そして、気軽な上司の提案を命令と誤解したり、たいした意味のない仕草から期待を読み取ろうとしてしまうのだ。(コーエン&ブラッドフォード『Power Up 責任共有のリーダーシップ』税務経理協会p176)


   リーダーのささいな一言が、メンバーには気になり、過剰反応することもしばしばあるでしょう。そうして、リーダーは知らず知らずのうちに部下に無駄な時間とエネルギーを消費させてしまうのです。
   新しい郊外のオフィスを視察した幹部が、「ここにヤシの木でもあったら、最高の景色だね」と口にしました。本人は軽い気持ちで言ったのですが、次に来たときは本当にヤシの木の並木になっていた。本書にこんな笑い話があります。他人ごとじゃないですよねえ。
   では、リーダーが言葉に気をつければよいか、というとそういう問題ではないと思います。メンバー側の「リーダーの顔色をうかがっていらないことまで反応してしまう」ということのほうが問題です。そんな彼らは、決まって言うのです。「でも、部長はいいといったじゃないですか」と。

   メンバーの主体性、判断力、責任感を育てない限り、リーダーは苦しむでしょう。そして、組織の力は十分に発揮できない状態が続いていくわけです。

2013年6月9日日曜日

伝統工芸的組織

   先日、ある自動車メーカーの汎用エンジンの開発技術者の方とお話しました。汎用エンジンというのは、モーターボートの動力や発電機などを指します。こういうエンジニアの方とお話するのは楽しい。製品に対する思い入れが感じられるからです。

   市場の動向など、いくらか会話を交わしたあと、「製品開発のプロジェクトは大変じゃありませんか?」と尋ねてみました。すると、この人は何を聞くんだろう、という表情。そこで「いえ、プロジェクトにはいろいろな部門から、様々なバックグラウンドの人達が入ってくるので、すり合わせが大変だと言いますよね」と付け加えると、その若いエンジニアは、私の質問の意味がわかったらしく笑いながら「それは、4輪は大変ですよ」と答えてくれました。「4輪(乗用車)は、何百人も関わりますからね、会社の経営に大きな影響を及ぼします。みんな大変だって言ってますねえ」という。「でも、私がやっている仕事は、もっと簡単なんですよ。モデルチェンジのサイクルが長いし、競合も少ないし。そのうえ、同じメンバー数人で何年もやっていて、お互い気心知れていますから、ずっとラクなんですよ」

   確かに、変化が少なく比較的単純なプロジェクトでは、経験者のほうが業界、技術のことをよく知っています。ですから、リーダー→メンバーの上意下達で多くの状況を動かすことができ、チームとしての機能はそれほど必要ないと言われています。典型的な例は、伝統工芸や伝統芸能です。師匠の仕事を再現するのが弟子の役目です。
   一方、複雑な製品を開発している、変化が早い市場を相手にしている、競争が厳しい、といった条件下では、リーダーはメンバーの技術、情報、コミットメントに頼らなければなりません。自動車開発のプロジェクトリーダーのほとんどが40代で機械工学専攻、メンバーの多くはエレクトロニクス専攻なのが一例です。自動車に興味が無い若者もメンバーに紛れ込んでいますが、彼らの能力が発揮されないと、自動車のような3万点と言われる膨大な部品からなりたつ製品は完成しません。このような条件下では、チームリーダーシップなくして事業は成り立ちません。

   さて、自分が関わる事業は、比較的単純な製品を扱う、競合が厳しくなく変化が少ないか、あるいは、製品が高度に進化している、競合が厳しい、変化が激しいなどが見られるか。多くの事業は、伝統工芸ではいられないと思うのですが、いかがでしょうか。

2013年5月28日火曜日

誰に集中するか?

協力が不可欠なのは誰か、協力を得られれば良い程度なのは誰か、反対されても気にする必要のないのは誰かを、よく見定めるのだ。そして、影響をおよぼさなければならない相手や部門・組織にエネルギーを集中する。(コーエン&ブラッドフォード『続・影響力の法則 〜ステークホルダーを動かす戦術』税務経理協会)

    何か変化を起こそうとするとき、組織の中で重要な役割をになっている人を見極める必要がありますね。そのような、キーパーソンに影響を及ぼし味方につけられれば、あなたの影響力も高まります。でも、実際はそれ以外の人たちの反応が気になって回り道しがちです。

   ある若いリーダーは、彼が担当するプロジェクトに意見を述べる先輩たちに振り回され、肝心な何人かの幹部と話し合うのが遅れた結果、のちのち苦労を強いられたとこぼしていました。
   先輩の進言を聞かないのは勇気がいると思いますが、できないわけではありません。重要なステークホルダーに定期的に状況を報告していたため、いざというときに支援を得られたというマネジャーの話も聞きます。

   重要な活動にエネルギーを投入するというのは、それ以外の活動を後回しにすることでもあります。決断しなければならないこともあります。

2013年5月26日日曜日

依存への抵抗

成人の大半は依存している状態を好まず、依存から抜けようとする傾向がある。そのため、上司が部下を依存状態にすれば、あらゆる手段を尽くして反発する。(コーエン&ブラッドフォード『Power Up 責任共有のリーダーシップ』税務経理協会p168)

   「従業員の主体性を高めたい」「指示待ちを変えたい」とおっしゃる人事の責任者に、しばしばお目にかかります。これはほとんどの場合、上司の態度に起因するものと思います。指示を待つ、ということは、それだけ指示が多いのですし、主体的でないということは、それだけ支配的なのです。部下は上司の期待に応えているわけです。

   でも、好んで依存しているとは限りません。指示待ちも、積極的な発言がない会議も、むしろ依存状態からの逃避、静かな抵抗かもしれません。多くはそうだ、と本書には述べられています。したがって、抵抗に反応するのは得策ではありません。管理を強化したり、細かい指示を増やすと、部下はますます上司の期待に応えて依存的になってしまうからです。

   ではどうするか。抵抗への効果的な対応は、相手の本音に耳を傾けることです。抵抗する相手は、たいがい表現が下手なので、態度で不満を示してしまう。そこで、きちんと表現させる。

   上司が部下の話しに耳を傾けるのは、なにも親身になることが目的ではなく、表現すれば問題が解決すると学ばせる、そうして、問題解決に関われれば、依存状態から抜け出せると学ばせることです。結果、彼らの主体性が高まった、と実感できるでしょう。

2013年5月20日月曜日

カレンシーの交換の入り口

文句や反論にあっても、それを相手がどうしようもない人間だという証拠だと考えてはいけない。抵抗を受けると、相手の性格のせいだと決めつけたくなる。しかし、相手は全く異なった基準で業績が評価されるのかもしれないし、異なった目標を背負っているかもしれないのだ。または、あなたの知らないプレッシャーに喘いでいる可能性もある。(コーエン&ブラッドフォード『続 影響力の法則 ステークホルダーを動かす戦術』税務経理協会p50)

  私たちの依頼に何かと不満を述べるなど快く対応しない同僚であっても、その同僚の力を必要とするなら、相手を知らなければなりません。

  ヒントは、彼らが口にする言葉の中に見つかることが少なくありません。不満に耳を傾けると、繰り返し同じ言葉を口にしていることもあります。例えば「納期」「上司」「現場」などです。こういった言葉には、彼らの優先順位、懸念、疑問が隠されていることがしばしばです。「納期」というのは、「納期を守れないと、リリースに間に合わない。彼はそれがいかに重要かわかっているだろうか?」という懸念かもしれません。「上司』には、「上司の期待に応えたいが、上司は認めるだろうか?」かもしれません。
  ところが私たちは、自分があまり考えることがない疑問には、思いが至りません。その結果、明らかに口にされているキーワードを聴き逃してしまうのです。それはあまりにも惜しい。

  ではどうしたらよいでしょうか。これには、反論や抵抗をチャンスと思って、言葉のひとつひとつに耳を傾けるしかありません。自分が考えもしないことを相手が言っている時こそ、ヒントがあるのです。そして、質問してみましょう。「何か具体的な例を話していただけますか?」「現場の理解を得るには、何があったらよいと思いますか?」などです。質問しながら、あなたが相手を理解している、と相手に感じられるようになると、相手はこちらの目標達成を助ける余裕が出てきます。ここでようやくカレンシーの交換の入り口に立つわけです。

2013年5月15日水曜日

影響力の総量を増大する

 言うまでもなく、影響力は形のある、固定的な物質ではない。可変である。経済活動における資本を考えると良いだろう。活かせば活かすほど、投資すれば投資するほど、資本は増大する。同様に、影響力も活かせば活かすほど大きくなり、組織の総合力は増大する。(コーエン&ブラッドフォード『Power Up 責任共有のリーダーシップ』税務経理協会p169)

   親しい友人のことを考えると、初めてあった時から今日に至るまで、いろいろなことがあったなと思い起こします。ともに難しい局面を乗り越えても来ました。難局を切り抜ければ結束も固まります。気がつくと、相手に対する信頼も強固なものになっています。


   影響力は互いにカレンシーが交換されていく状態です。小さなカレンシーの交換から始まることが多いでしょうが、リスクを冒して大きなカレンシーを交換する。たとえば、相手が抱える問題を指摘して解決に手を貸す。無理難題を要求する代わりに、こちらも相手の目標達成を手助けする。


   先日放送された、NHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第1回 ニッポンの会社をこう変えろで、自動車メーカーマツダのプロジェクトチームの取り組みが紹介されていました。生産部門と開発部門で新型車開発に臨んでいる。開発部門のリーダーは、新素材を使って性能を高めたい。そのように生産部門のリーダーに要請します。しかし、新素材は加工が難しい。そこで、生産部門のリーダーは、加工しやすい設計に変更するよう要求します。これまでは、互いに遠慮して相手の仕事のことに口出ししなかった。でも、遠慮なく意見を述べ合うと、問題解決が進んでいくのです。その結果、世界でもトップレベルの品質を低価格で実現することに成功したと。


   これが、交換の一例です。

2013年5月12日日曜日

うまくいかない時こそ

相手がこちらの期待に反してばかりだと、うまく進まないのは相手のせいだと思いたくなる。しかし、そういうときこそ、自分自身の態度・行動を振り返ってチェックする必要がある。(コーエン&ブラッドフォード『影響力の法則 現代組織を生き抜くバイブル』税務経理協会p161)

  上司が問題をわかっていない、協力的でない、と嘆いているマネジャーの方に、よくよく話を聞いてみると、日頃から上司のいうことに否定的な言動をとっていることが多いと思います。そのようなマネジャーには、これまでの好業績を背景に昇進した方が目立ちます。それだけに、彼らがいうことは正しいように思えます。


  でも、上司の立場で考えてみましょう。部下がこれまでの経験を振りかざし、自分に否定的な態度を示してきたら、そのような部下を警戒するのではないでしょうか。ただでさえ、実績がある部下は、自分の身を危うくする脅威なのですから。


  良い結果を求めるのなら、上司に不愉快な思いをさせないようにして、そのうえであなたが達成したいことに協力を求めるべきでしょう。

2013年5月8日水曜日

双方向の影響力

 リーダーとメンバーの双方から、信頼関係と相互影響を規範とする環境を築きたい。そういった環境では、リーダーは、メンバーがなんのアイデアも提案せず、自分の案への意見を出さない会議を心配する必要がなくなる。(コーエン&ブラッドフォード『Power Up 責任共有のリーダーシップ』税務経理協会p190)

「影響力とは、リーダーが発揮するものだ」と思われています。たしかにそうなのですが、それだけでは不十分です。現実には、メンバーからの影響力は重要な役割を果たしているからです。例えば、メンバーが現場の情報を提供し、意思決定がなされるなどです。リーダーとメンバーが双方向に影響力を発揮できる信頼関係が重要です。そうすれば、メンバーはもっと事業に貢献すること、間違いありません。

2013年5月6日月曜日

建設的な緊張感を保つ

 ビジョンは、向かうべき方向を示し、さらに、それを実現するにはやらなければならないことがあるという、ある種の建設的な緊張感を創り出す。この緊張感がなければ、行動は起きない。(コーエン&ブラッドフォード『続 影響力の法則 ステークホルダーを動かす戦術』税務経理協会p83)

 チームに緊張感がないと、いわゆる”仲良しクラブ”になってしまうようです。問題の本質に迫ることなく、どこか妥協が出てしまう。そうして失敗してしまうプロジェクトやチームは少なくない気がします。

 やむにやまれぬ思いがあって、課題に取り組んでいければ、思いもよらない知恵が発揮されるかもしれません。現実をしっかり受け止めること、望ましい姿を理解すること、その差が明確になることが、緊張感を共有するのに欠かせません。痛いところを衝いてくれる(本当のことを指摘してくれる)メンバーも欠かせませんね。

2013年5月3日金曜日

ヒロイズムの誘惑

 英雄志向のリーダーシップは、組織が卓越した成果を上げる際の障害になるにもかかわらず、心情的には心地がよい。ゆえに手放しにくいのが問題だ。(コーエン&ブラッドフォード『Power Up 責任共有のリーダーシップ』税務経理協会p43)

 自分のほうが他者より知っている、という感覚は心地良いのです。子供から大人まで、自分の知っていることを得意げに話したがります。でも、気をつけなければなりません。リーダーのほうが知っていると思えば、メンバーはリーダーに依存したくなるからです。主体的な判断を避け、リーダーの決定に従っていたほうが、メンバーには安全で合理的です。結果として、自分の力を発揮しないということに・・・。
 リーダーの役割をとるのなら、知識をひけらかさないほうがよいこともあるのですね。

2013年3月24日日曜日

雑談力

 今朝のNHKテレビ「サキどり↑」で、「鍛えないと損するョ!“雑談力”」なる特集をやっていました。
 番組で紹介されていたのは、例えば富山県のある銀行で、カウンターの営業業務に雑談を意図的に取り入れ、成績の低迷に歯止めをかけようというもの。
「お客さん、スマホって使ってらっしゃいます?」
「そんなん、使えないよ〜」
「わたし、週末に買ってきました」
「へえ、スマホねえ」
(打ち解ける)
こんな感じです。

 番組では、雑談すると「信頼関係ができる」などとも言っています。どういうことでしょう。他にも、大学生に落語家が「雑談は共感だ」と教えていましたが、学生に雑談を教えるのは、悪くないなと思いました。だって、雑談しないでしょう、特に男子は(取り上げられていたのは、工科大学でした)。
 出演者は、雑談についてのそれぞれの立場からの発言をされており、それはそれぞれおもしろいと思いました。

 そもそも、雑談とは何でしょうか。広辞苑によると「ざまざまの談話。とりとめのない会話」とあります。仮になんらかの下心があったとしても、それ自体に何か目的があって話すわけでないのが雑談でしょう。

 さて、影響力の法則で、雑談の効能をどうとらえるか。

 雑談では、生活や仕事に関する情報交換、自分自身についての情報開示などが行われており、自分や周りのできごと、気持ちなどを口にすることで、実はカレンシーの交換をしています。とはいっても、ここでは「とりとめのない」些細な話が良いのだと思います。いきなり、深刻な話、難しい話を持ち出されても、かえって話が続かない。
「先週いっぱいで、私、解雇されました」
「・・・・」
 よく、政治と宗教の話は避けろ、といいますが、価値観の相違があるかもしれないからだけでなく、そもそも難しい話は続かないのです。お返しのしようがない。

 とりとめのない話の重要な点は、話に話を返すことにあるのでしょう。こちらの意図することをくんでくれた、と感じられるのはカレンシーです。ちゃんと対話が成りたっているというのは、カレンシーの交換が続いているということですね。交換が続けば、「こいつはつきあえる」とか「ちゃんと返すやつだ」と認識される。
 この「ちゃんと返す」ことが、信頼につながります。信頼とは行動に一貫性あると信じることです。小さな交換を繰り返していくと、大きな交換も返すと信じられますよね。だから、小さな交換は馬鹿にできないどころか、大きな交換をするのに必須なんですね。

 ですから、番組でやっていたように、いきなり商売の話をしてもうまくいかない。雑談しながら、商売のための心の準備をしなければならないのです。雑談がはずむと、そこで初めて商売の話ができるわけです。
 わざわざテレビで取り上げて、「雑談力」などという言葉をつくってでも取り組む価値がある、ということでしょう。

2013年3月21日木曜日

廃棄物最終処分の依頼

 私は現在自治会長をお引き受けしているため、自治会関係の会合に出させていただくことがあります。先日は、市長を囲んで施政方針をうかがう機会がありました。そのなかで、ああなるほど、と思わされるお話がありました。

 市では北関東の2市に廃棄物最終処分を依頼しているのだそうです。原発事故以来、廃棄物(焼却後の灰)の放射能が問題となり、処分を依頼する側と、受け入れる側の関係は、微妙になっています。受け入れを拒否され、灰を抱え込んでいる自治体もあると報道されていましたね(その後どうなっているんでしょう)。

 この2市も例外でなく、そのうちの1市の市長が、何かのきっかけで怒ってしまい「各市の受け入れを白紙に戻す、ただし、浦安市ともう1市を除いては」と宣言されたのだそうです。きっかけが何かわかりませんが、件の放射能問題は引き金のひとつでしょう。首長の立場からすると、支持者を含めた住民から「受け入れ阻止」などといわれたとしたら、強く出なければならないですね。弱腰、と思われたら、次は落選するかもしれない。私も怒ってしまいます。

 でもここがおもしろいのは、なぜ2市が例外とされたのか、です。我が町の市長によると、「廃棄物を受け入れていることに、市長が直接やってきて謝意を示したのは、浦安市ともう1市だけ」なのだそうです。これをカレンシーの交換で考えると、「カレンシーを受け取っていることを認め、感謝していたのが、先方にとってカレンシーになっていた」ということですね。それ以外の市は、カレンシーのバランスが崩れていた、つまり一方的に汚いものを押しつけていたということでしょう(もちろん、金は払っていましょうが、金で解決しようとするのは、ネガティブ・カレンシーになることが多いですね)。そのバランスを一気に取り戻そうと、この市長さんは受け入れ拒否宣言をされたのだと思います。
 同様の自治体間の関係は、全国的に見られます(本当は、世界的にです)。人口が少なく、財政基盤が弱いところは、無理を引き受けているのですね。その最たるものが原発や米軍基地でしょう。引き受けさせている当事者は、そのありがたみを忘れていることが多いのかもしれません。

 さて、ここで、自分のことを振り返ってみると・・・。やっかいなことをやらせている部下や、下請けを思い出してみましょう。バランス、とれているでしょうか。これは、相手がどう感じているか、というのが肝心です。彼らが「自分はカレンシーを支払いすぎだ」と思っていれば、努力するのは損になります。ひょっとしたら、彼らに力を発揮させるのには、もっとカレンシーを渡さなければならないかもしれません。
 ただ、それはお金で解決するなどでなくて、感謝を伝えればよいだけなのかもしれませんよ。

2013年3月18日月曜日

続・部下が自由に仕事しようと思ったら

 私の取り組んでいる課題は、前回書いたような“上司と部下の奇妙な結託”から、上司、部下が解放され、それぞれが持っている力を思うように、自在に発揮できるようになることです。

 では、どのように解放されるのか。まず、思うように力を発揮できない不満やいらだちを、それぞれが認めることから始まります。例えば、上司に対する愚痴を口にしている自分に気付くことから始めます。私たちは何かおかしいと感じても、それに向き合わないでやり過ごしてしまうことがしばしばあります。優秀な従業員を雇用している会社では、「ウチの従業員には何も問題はない」と聞きます。そう思いたいのはわかりますが、不満や違和感を感じているとしたら、せめて自分には嘘を言うべきではないでしょう。

 次に、その原因は、過度に上司の期待に応えようとする部下と、自分の知識の範囲を超えまいとする上司の「奇妙な結託」にあるかもしれない、と考えてみます。
 するとこの結託のきっかけが、自分に誤りがあって恥をかくのではないか、自分の無能さをさらけ出すのではないかという不安。意見の対立から摩擦が起こり、不愉快な思いをするのではないか、上司と対立して役割を外されるのではないかという怖れなどにあると、気付くでしょう。そして、自分自身の心の中にどこか妄想的なストーリーが見えてくるかもしれません。例えば、本当に「無能さをさらけ出す」のでしょうか。現実にはそれほど気にする人はいないはずです。仮に無能さをさらけ出すことになったとしても、今取り組まなければならない仕事の価値に比べれば、小さな問題に過ぎません。使命感の欠如の裏返しといえるでしょう。少し冷静になれば、自分でも可笑しくなってくると思います。
 こうして問題のきっかけは奇妙な結託、本質は自分自身にあることを認めれば、それこそが解決の糸口となります。

 どう解決できるか。ふたつの方策があると思います。ひとつは、行動することです。リスクを冒して、自分が見ている事実を伝えること。自分の持っている知識や技術を惜しみなく開示し、組織の利益のために使うこと。さらには、上司を含む関係者の利益を考慮し、自分にできることに取り組むことなどです。私は、翻訳させていただいた「影響力の法則」という本の中に、具体的な戦術を見いだしています。それは、共通の利害を掴むことと、そのための資源(カレンシー)を出し合えるようにすることです。
 また、先に進めるためには決定したことに責任感をもつことも重要です。積極的に意思決定に関わっていくことが責任感をもつカギでもあります。意思決定に参画することを学ばなければなりません。
 そうして、結託することよりも、結果に目が向くようになります。

 一方で、結果を得ることの大義を知る必要もあります。先日電装品メーカーの方たちと話していて、これだけ通信が発達した現在、私たちの仕事は岐路に立っている、と聞きました。それを聞いた私は、「みなさんが世界の通信環境を改善したから、人々がつながったんじゃありませんか。世界の紛争地帯は、ネット環境のないエリアが多い、そればかりと言っていい。みなさんの努力が、紛争を回避し世界に平和をもたらしているんでしょう。そのための挑戦なら、まだまだ取り組まなければならない課題があるはずですよ」と返しました。すると、彼らの顔が明るくなり、エネルギーが漲ってくるように感じられたのです。
 結果に目を向けるには、得たい結果が魅力的でなければなりません。事業の本質的な課題は、ほとんどが道半ばなのではないでしょうか。例えば、自動車を普及する、ということは達成してしまったように見えますが、人々の移動と交流を促進することは、ずっと続く事業のはずです。本質的な課題に向かえば、使命感とエネルギーはより高まってくる。やる気がない部下には、本質が見えないのだろうと思います。だから、大きな仕事を任せられなくて、ますますやる気がなくなる。もったいない話です。
 ひとりひとりが、事業の本質を自らの責任で見いださなければなりません。そのためにも、各々がよく意思疎通して、事業の使命を理解しなければなりません。

 行動する(カレンシーの交換)こと、使命の理解とも、上司がしてくれるとは限りません。私たちの誰もが、取り組んでいかなければならないのです。上司もそうです。部下は黙っていても会社の方針をわかっているとは思ってはなりません。わかっていても、リスクを冒して本音を言わない上司には、とぼけた顔をするでしょう。自分ひとりにリスクを押しつけられるのはごめんですから。

 部下が自由に仕事しようと思ったら、上述のように上司と部下のゲームを変えることこそが肝要です。

部下が自由に仕事しようと思ったら

 会社勤めのビジネスマンにも、今まで以上に主体的、自主的な仕事ぶりが求められているのは、だれもが感じているところでしょう。
 従来、会社勤めであれば上長の指示、命令に従っていれば良かったのです。上長が経験からくる適切な判断を下してくれ、部下はそれに従っていれば間違いなかったわけです。今でも、そのような上司部下関係が通用する組織や職場は、少なくないかもしれません。しかし、変化が激しくなってくると、上司の古い経験だけでは良い答えが導き出せなくなります。それどころか、むしろ古い経験が成功の妨げになることもあります。現場の現実を見て、判断できることが重要なのですが、経験があると、かえって市場や顧客の変化を理解できず、「以前と同じようなことが起こっている」と認識してしまうのかもしれません。( 私はここでも「カレンシーの交換期待」が働いているために、返してもらえると思って、舵を切れない心理も働いていると思います)

 いずれにしても、現場のメンバーが、起こっている現実を理解し、適切に判断できる必要があります。そこで部下の主体性が重要になるわけで、その主体性とは、自主的に判断して行動することを指しています。逆は指示待ちです。

 ところが、部下の側からすると、主体的な判断は危険です。誤りがあったら自分が責任を取らなければならない、自分の無能さをさらけ出すことになる。意見が対立すれば、組織の中で摩擦がおき、不愉快な思いをしなければならない。そして、上司の意に沿わない判断をしたら、上司と対立し役割を外されるかもしれない。など、明らかな落とし穴があるのです。だから、自分で決めない方がいい。上に決めてもらって、指示に従うという一番楽で安全な方法をとろうとします。
 私自身、自分で決めて進めようとすると上司が顔をしかめるので、上司が喜ぶように仕事をしたことを、思い出します。

 これは部下にとって安全なだけでなく、上司にとっても安全です。自分が理解できる枠を外れませんから。こうして、上司と部下の、奇妙な結託ができてしまいます。コーエン、ブラッドフォードが「Power Up責任共有のリーダーシップ」(2010税務経理協会)で問題としているのは、この結託です。互いに安心領域から離れずにすみますが、変革は妨げられ、パフォーマンスも低下していきます。そして、優れたリーダーシップ待望が起こってくる。何でも知っていて答えられる力強いリーダーなら、優れた指示を出してくれるに違いないと。

 でも、これが皮肉なことには、有能なリーダーが出てくると、部下はリーダーに依存してしまい、しばしば考えなくなることです。つまり、主体性を発揮しなくなってしまうのですね。

 この問題を解消するにはどうしたらいいか。それは、まず上司と部下の結託があることを認めなければなりません。そして、部下の主体性を発揮させることを第一に考え、そのためにできることを、上司と部下がともに学ばなければならないのだと思います。これは決して上司だけの問題ではないのです。

 もし、上司に不満あれば、それはあなた自身の問題でもある。逆に部下に問題があれば、それは上司の問題でもあるということ。ここから始めていくことしかありません。

 部下にできること。それは、上司が何を目指しているのかを理解することです。上司としては、「この部下は、よくわかっている」と思う部下にこそ、任せられます。ですから、会社の戦略や部門の方針、上司のキャリアゴールまで、理解するように努めること。「こいつはわかっている」と思われるまで、よくコミュニケーションをとり、上司の目指しているところを、ともに達成するパートナーであることを認めさせること。

 コーエン、ブラッドフォードによれば、この努力も「責任共有のリーダーシップ」であるのです。

2013年3月13日水曜日

コーチング、と言う気持ち

 管理職の集まりに出ると、必ず部下の問題が話題になります。そして「コーチング力を高めたい」という話になるのです。先日の会合でも全員が「コーチング力」を高めたい、と一致しました。

 マネジャーの能力開発に関わっていて、これはいい傾向であると考えたいのです。自分の側に問題あり、と認識するのが、学習への動機付けになるからです。しかし、内心懸念も感じます。それは彼らの言うところの「コーチング」が、往々にして服従させる手段であることが多いからです。

 人は他人より強くありたい、自分の思うようにしたい、といった欲求を持っています。誰でも多かれ少なかれ持っています。そのおかげで、他人と関わり、互いに影響を及ぼしあったり、学び合うことができるのでしょう。例えば、教師に「良い知識を授けたい」「良い大人に育って欲しい」という強い意欲がなければ、良い教育はできません。
 けれども、実際には何でも望みは叶わない。だから思うようにならない現実にも悩みます。悩まないのは仏の世界であり、そういう悩みもあるから、修行する人、神にすがる人がいるのかもしれません。人間には生きるための欲求があり、その中には他人に対する欲求もあります。ですから、マネジャーになるとなんでも叶うと思いたい、実は全然そんなことはないのですが、せめて部下に対しては思うようにしたい、とあなたが思っていたとしても、私は決して笑いません。そう思うのは自然なことだからです。

 しかし、部下を思い通りにできるというのは、もはや現実的ではありません。部下には人格があるし、欲求がある。部下の専門知識に頼らないで、この難しい世の中で良い結果を出せるはずはありません。年功序列も崩れています。人材が流動化し、先輩は絶対ではありません。「神のごとく絶対」ではありえないのです。

 私が冒頭感じていると書いた懸念は、「コーチング」への期待が、それでも何とか部下を思うようにしたい、というマネジャーのすがるような思いの反映、と感じられたからです。でもそれは現実的ではないのです。
 この問題を力で解決しようと考えていたら、コーチングが機能するのは難しいでしょう。マネジャーはいつまでもフラストレーションを抱えることになってしまいます。

2013年3月6日水曜日

利になると感じる

 昨日から出張で大阪にきています。

 いつも自宅最寄駅で大阪行きの乗車券を買います。エクスプレス予約を使えばいいんでしょうが、駅員と話すのもささやかな楽しみです。

「大阪まで乗車券と次ののぞみの特急券をください」
「乗車券はどちらからですか?(東京駅から?)」
「ここから」
「ありがとうございます!」
「帰りももらいましょう。ここの売り上げになるでしょ?(東京駅じゃなく)」
「ありがとうございます!」
「地元の売り上げに貢献しなくちゃね」
「ありがとうございます!では、こちらで買っていただけるので、ご存知ですか?神戸まで買うと往復割引がきいて、大阪往復より安くなるんです。そちらでご用意しましょう」
「おっ、それはありがたい。ではそうしてください」

 こちらが相手の利益に配慮していること(この場合は、売り上げの拡大)を感じた駅員が、今度はこちらの利益を考えてくれたのですね。

 かくして、切符を買うのも小さな楽しみとなったのでした。win-winが感じられるカレンシーの交換は、少しだけ毎日を楽しくもしてくれるようです。

2013年2月11日月曜日

目標設定

 部下に100の目標を与えるとき、「目標は100」と伝えますか?

 日本の会社のマネジャーのみなさんと話をしていると、しばしば違和感を感じることがありました。それは目標に対する認識についてです。例えば、営業マネジャーが部下に貸している目標が、必要以上に高い気がするのです。それも、途中からどんどんあげていきます。それをチャレンジとかストレッチというのでしょう、それ自体を決して否定する気はありません。ただ微妙にニュアンスが違うのです。あるとき、ふと気付きました。「100と言ってもできないから、120ぐらいを課しておけば、結果100ぐらいになるんじゃないか」という意味で言われることがあると。そう思うと、これでいいのかなと気になり始めたのです。

 私はいくつかのアメリカ系企業に勤めましたが、彼らは「100は100である」です。なぜならそういう契約だからですね。「120」などと言ったら「信用していない」とか「引っかけようとしている」と思われるに違いありません。みなさん、どうされているのでしょうか?
 それで最初の質問です。「目標は100」と伝えますか、「目標は120」と伝えますか?

 どちらがいいか、という議論よりも、まずひょっとしたら自分が考えている目標の概念をチェックすべきでしょう。部下との認識にずれがあれば、知らず知らずのうちにネガティブカレンシーを撒いてしまうかもしれない、と思った次第です。

2013年2月1日金曜日

ネガティブカレンシーを返さない

 「目には目で、歯には歯で」有名な一節です。「目をとられたら、目を奪い返せ」という理解がまかり通っていますが、「とられた以上のものを奪うな」というのが主旨だそうです。ハンムラビ王が発布したハンムラビ法典が出典です。紀元前1800年頃でしょうか。
 人間関係の交換のルールを示しており、興味深いものです。それをまた「取り返せ」と理解していたのも、興味深いですね。それほど、同じぐらいの価値が交換されるべき、という社会通念が普遍的なのではないでしょうか。

 旧約聖書を読むと、やはり社会や外交が交換で成りたっていると思います。信仰は社会に対する信頼となり交易が発達します。信仰が相手(取引相手)に対する怖れを弱め、交易を盛んにするのかもしれません。やがて信仰が薄れると、弱体化してくるか強大化しておごりがでると、救いの王が出てきて、戦争に勝ってしまう。おもしろいなと思います。
 
 でも、相手を徹底的に追い詰めてしまうのは、すさまじいと感じます。ガザのパレスチナ人が、旧約の時代からイスラエルの民と争っていたというわけです。何千年も。今もイスラエルはパレスチナを攻撃し、パレスチナは打ち返しますが、旧約でも同じことをやっているわけです。ガザで。このネガティブカレンシーの交換は、いつ終わるのでしょうか。長く傷んだ経験は、容易には止められません。双方に止めたくない人がいるのも、わかります。

 民族の紛争は、こうして終わることがないかもしれませんが、私たちの身近な人間関係の紛争は、私たちの気持ち一つで終えることができるはずです。
 ひとつは、顔を合わせないこと。多くの人がやっています。逃げているようだけれども、これもありでしょう。ただ、いつでも避けられるわけではありません。ずっと避けていようと思ったら、誰にも会えなくなってしまう。
 ふたつめは、ネガティブカレンシーを返さないこと。やられても、涼しい顔をしている。忍耐ですね。
 みっつめは、こちらから歩み寄って、互いにネガティブな蓄積を認め合い、清算すること。「どうやって、お互いに埋め合わせようか」と話し合うわけですね。大人の対応。影響力の法則的。

 私としては、みっつめの道を開拓するのが、自分自身にとっても利益があると思います。ネットワークを拡げ、交換の可能性が広がりますから。ふたつめもいいですね。涼しい顔をしていられたらいい。いずれも簡単じゃないです。だから、今日、少しだけ挑戦してみよう、と思うのです。

 明日は、また大勢の初めての人に会えます。さて、どうなるか、楽しみです。

2013年1月31日木曜日

スポーツ界の暴力事件と上司部下関係

 女子柔道の日本代表チームに、監督、コーチからのハラスメントがあったとのこと。先日の大阪での事件以来、コーチによる暴力の問題が明るみになっています。

 今回の柔道の場合、すでに監督、コーチを処分しており、それが軽すぎるのではないか、という疑問もあります。懲戒ではなく戒告だったのは、不自然と感じます。でも、これが今の現実なんだろうなあ、とあらためて考えさせられます。

 カレンシーの交換で考えてみましょう。まず、コーチと選手の関係です。コーチは、どこか選手を所有物と見ているところがあるように思えます。所有物だから好きにしてよい、となるのではないでしょうか。あるいは、「これだけ期待し、入れ込んで指導してやっているんだから、結果を出して当然だ。それなのに、この出来では納得できない。埋め合わせしてもらおう」のような飛躍があるのかもしれません。いずれにしても、入れ込んだ分、取り返そうとするのが、暴力になっているのではないか、などと推測しています。暴力コーチは、おおむね「熱心」といわれていますよね。

 もうひとつは、どうして処分が甘くなってしまうんだろう、という点です。これは、コーチとその上長の関係です。たとえば、教師と教育委員会、コーチと柔道連盟などです。ここでも、カレンシーは上長の方が多く受け取っている構図が、甘くなる原因に思えます。暴力コーチは「よいコーチ」なのです。実績も上がっているし、熱心で評判もいい。そんな先生、上司から見ればありがたいです。そのおかげで、いい生徒や選手を獲得でき、学校やチームの評価も上がります。でも、上長から見れば、何も報いていないと感じています。人事制度上、給料をほかのコーチや教師より上げるわけにも行きません。むしろ、企業スポンサーの方が、支払っていたりします。

 この、報いていない、という感覚が、甘くなる原因のように思えます。当然、上司と部下の間も同じです。上司が部下に甘くなるのは、ちゃんと指導していないから、というケースが多いように感じます。とくに、まじめな上長ほど、そのような関係を気にします。そして、あまくなる。今日の報道によると、「警察の不祥事では、警視や警部といった幹部に目立つようになってきた」そうですが、同じ背景じゃないか、と勘ぐっています。

 この関係を乗り越えるには、「暴力はいけない、絶対しない」というコーチ側の強い意志が必要ですね。でも、本当に意志で解決できるか、といえば、難しいのではないでしょうか。そこで、上のような人間関係で考えると、
「結果はコントロールできないのだから、好成績など期待しない」
「それより、選手(部下)の成長を楽しみにする」
「部下の話をよく聞き、大事にする。そうすることで、部下に借りをつくらなければ、厳しい処分も可能となる」
といったことを、まず考え、実行するのはいかがかと思います。

2013年1月20日日曜日

LINE 1億人

 日本初SNS、LINEの利用者が1億人を突破。facebookやtwitterよりも早い達成だそうです。日本の会社(正確には韓国の会社の日本法人だそう)が始めたサービスが、世界に広がっているというのは、やはり嬉しいですね。

 SNSというのは、人々が交流する場ですから、やはりそこには様々な交換がおこります。当然、事業機会を狙う企業は、SNSからビジネスの拡大を試みます。お金とサービスの交換です。それだけでなく、様々な情報の交換。さらには、フィードバックの交換もありますね。facebookを使っていて、「いいね!」を押すと、「いいね!」がかえってくる。返さなければならない気もしてしまいます。このあたり、レシプロシティの強い働きも感じます。どのようなコミュニティでも、交換が続くことが、コミュニティの継続です。SNSが凄いのは、直接会うよりも格段に低コストでカレンシーを交換できるということだろうな、と思います。まだまだ機会が広がりそうです。

 とはいえ、低コストで交換できるとなると、他に低コストで貢献できる場があれば、容易に移動できます。事実、苦戦している老舗?SNSもありますね。私は、電話帳情報を開示できない人もいるので、LINEは使いません。考えてみれば、SNS側は、ユーザーの情報を吸い上げることで成りたっているんですから、ユーザーとSNS会社間の交換も、それなりに続くのですね。

2013年1月17日木曜日

体罰

 体罰を苦に生徒が自殺するという痛ましい事件がありました。教師の体罰については、あらためて愕然とするばかり。
 今回桑田真澄氏のコメントが朝日新聞やNHKで取り上げられるなど、あらためて体罰への非難が続出。橋本大阪市長も、体罰に関する考えをあらためた、と表明しています。
 私個人の体験では、小学校2年生のときの代用教師が、意味もなく児童を殴る男だったのを覚えています。子どもにはどうしようもなく、みんなでおびえていました。自分の感情で殴っているな、と子どもでもわかります。馬鹿な男だ、と思っていました。おかげで、暴力に訴えてはいけない、と学んだのかもしれませんが・・・。

 カレンシーの交換で考えてみると、暴力教師はどこかでネガティブカレンシーのバランスをとろうとしているのではないか。その多くは、自分が教師から暴力を受けてきているるから、と推測します。あるいは、職場で一方的なマネジメントに我慢している。だから、それを子どもたちとの関係で清算しようとする。頭ではダメだ、とわかっていてもやってしまう教師もいるかもしれません。そうなると、問題解決には、教師自身のメンタルヘルス、職場の構造変革と、強い決意が必要です。

 今回の事故を、問題解決に向けた取り組みにしていかないと、また繰り返されるでしょう。アメリカでの銃による事件、大学での一気のみの事故をと通じるものがあります。たぶん、今回の報道を何の話かわかっていない教師がたくさんいると思います。再び痛ましい事件が起きないようにするには、繰り返し、現場に言い聞かせていく必要があるでしょう。また、教師のメンタルヘルスや職場の構造を改善することも検討しなければなりません。

 さて、私たちの職場に適用できることはないでしょうか。上司と部下の関係を考えれば、少なからず似たような状況があるとおもいます。昨日会った若い現場のリーダーは、部下に対して冷たく対応していた、と反省していました。
 自分が扱われたように部下を扱っていては、暴力教師と変わらないと言われてもしかたないでしょう。

2013年1月14日月曜日

出初め式

 招待されて、地元消防の出初め式にいってきました。始めての出席。こうして町の安全のために力を尽くしてくれていることに、改めて感謝したいと思います。中には命を落とす団員や職員がいますから。
 最近では、昨年の科学工場での火災や震災で、亡くなった消防隊員、団員が、記憶に新しいところ。今日も、殉職者黙祷から式は始まりました。

 カレンシーの交換で考えてみましょう。仲間が命を捧げた、自分も危険にさらされている、という感覚は、やはりネガティブなカレンシーとして働くでしょう。貸しがある状態です。ネガティブカレンシーを感じる間は、不安に感じたり、ネガティブカレンシーを返すなど、埋め合わせするのに精一杯になってしまう。これでは今の仕事には集中できず、あまり生産的と言えません。

 そこで、何か慰めがほしくなるのは、自然なことだと思います。

 北海道神宮に行くと、旧北海道拓殖銀行の行員を祀った神社なあります。北海道入植時に寒さの中、銀行員も多くが命を落としたからだそうです。多くの神社が、不本意にして命を落とした人たちの魂を慰めています。そうすることで、今に集中できるということでしょうか。

 消防のみなさんが力を尽くしてくれるのに応えるには、励ましだけでなく、鎮魂が必要。それと同じように、ネガティブなカレンシーを清算しなければ、新しい交換がおこらない、とあらためて思いました。

2013年1月12日土曜日

給与の削減

 財務省が地方公務員の給与削減を、地方自治体に要請するとの記事を発見しました。財務省によると地方公務員の給与は、国家公務員より平均7%多いので、国家公務員並みにせよ、というわけですね。それに対して、首長は反発しているとのこと。

 首長にとって、自分の給与が減るわけでもないのに反発するのは、なぜでしょう。

 それは、「そんなことしたら、職員が働くなるし、ガバナンスがきかなくなる」と感じるからでしょうね。
 上司と部下との関係は、「困難な課題と給与の交換」が基本です。「いい仕事には、いい給与を」というわけです。これは、上司からみても部下からみても合理的です。そこで、一方的に給与を下げる、とか無理を言うのは、リーダーシップをかえって損なうんじゃないか、と心配するのだと思います。特に首長の場合は、選挙で決まりますから、公約を果たさなければなりません。職員には難しい課題、無理難題を要求することも少なくないのです。それなのに「給与を減らせ」というのは、公務員の協力を得られなくなり、公約を実現できないリスクを高めます。
 だから、反発するんだろうな、と思います。もちろん、一般的な上司と部下の関係でも、同じだと思います。

 リーダー側はどう対応すべきか。困難な課題を実行させるには、やはり給与とは異なるカレンシーを部下に受け取らせることでしょう。そして、部下の便宜をなるべく受け取らない。そうすれば、カレンシーのバランスからして、給与の削減に着手しやすいはずです。逆に言えば、反発している首長は、部下にたいしたことをしていないんじゃないか、と考えます。
 実際は、どうでしょうね。

2013年1月8日火曜日

修行者の集まり

 この休み中に、阿含経典の一部を読む機会がありました。といっても、お経は慣れないので読むのが大変。「続きは今度」となってしまいましたが。
 なぜ阿含経典など読もうとしたかといえば、それは「僧伽」について説明があったから。僧伽とは、出家した修行僧の集まり。同じ志の者たちの集まりなので、チームに繋がる手がかりがあるかと思ったのです。

 僧伽の繁栄には、少なくとも7要素あるようです。
1 会合をもつ
2 ともになすべくことをなす
3 定めたことを行い、それ以外はやらない
4 他者、特に先達を敬い、耳を傾ける
5 欲に動かない
6 他から離れて行動する
7 よい行いを奨励する

 こんな理解で大外れではないと思います。

 チームとの共通点も多いですね。感心しました。
 でも、他から離れているという点だけは、必ずしも通じないでしょう。
むしろ、外部との交流を通じて、目的を果たすのがチームであるからです。他から離れれば集中できるのは間違いありませんし、その効用は認めますが。

 ああ、こうかいていると、別の考えも浮かんで来ました。集中できる環境の確保も、マネジメント上の課題かもしれません。

 何れにせよ、大いに参考になりました。

2013年1月7日月曜日

仲良しクラブ

 互いに甘い集団を、揶揄して「仲良しクラブ」と呼びますね。仲良しクラブは、よい結果を産みませんが、結束力があるだけにかえって厄介です。
 そして当然ながら、仲良しクラブを100倍強化しても、仲良しクラブにしかなりません。

 チームになるには、共通の目標と、お互いに対する影響力が必要。共通の目標は、チームの前提でもあります。先ほど見つけた日経の記事。買った土地が液状化して危機的な状況になってしまったものの、なんとか早く売らなければならないデベロッパーは、結束して新技術を市場化しました。1年あまりで着工したので、早い決断をしたと感心します。

 また、チームになるには言いたいことを言いあって、学び合うことも必要です。

 対して仲良しクラブは、仲間を慮って妥協してしまいます。でも、長いつきあいの仲間だと、本音を言いづらかったりもします。若者たちですら、互いの空気を読みながら、遠慮することを覚えます。若いのにもったいないなあ、と思うこともあります。

 「今年は仲良しを脱皮する」というのも、悪くない目標じゃないでしょうか。

2013年1月6日日曜日

待つこと

 クリスマス、小学生の甥っ子に「モンテクリスト伯」をプレゼントしました。復讐の物語ですね。でも、自分は読んでいたか?自信がない。そこで、全部を読んでみることに。

 物語の説明は省略しますが、面白かった。子供へのプレゼントとしても、よいでしょう。正義は勝つ、というメッセージは子供には必要だと思います(悪は続かないも)。

 もっとも印象的なのは、最後にあった「待つこと、希望を持つこと」ということ。主人公モンテクリスト伯が助けるマクシミリアンは、恋人ヴァランティーヌが死んだと思い、生きる希望を失います。そこでモンテクリスト伯がマクシミリアンに伝えたのが、「待つこと、希望を持つこと」でした。実は、ヴァランティーヌの死は偽装。本当は生きています。私が印象的だったのは、だから本当のことを言ってもよさそうなものなのに、主人公は青年に「待つこと、希望を持つこと」「私を信じること」と言って励ますだけだったこと。恩人の息子に、死ぬような苦しみに耐えること、この大切さを学ばせるためだった、と示唆されています。

 私たちは、こちらからカレンシーを渡せば、すぐかえってくると考えがちです。とくにプレッシャーがかかってくると、すぐなんとかしてほしい。でも、時には待たなければいけません。待つのはつらい。収穫が夏を越え、台風をやり過ごし、秋になるように、結果はすぐでないこともすくなくありません。
 そんなときに、死ぬ思いをして待つ、その先に希望がある。そう信じられたら、カレンシーを与えることもできる、平たく言えば、がんばれるのですね。

 一方、待ちきれない人もいる。そうして続けていた努力をやめてしまう人もいるし、なかには自死する人もいる。これも、その人の立場から見れば、正当なのかもしれませんが、その背景にあるのは、欲しいものは手に入る、結果は得られるという考えではないか。思うようにならないので、諦めてしまう。何でも思うようにならないのが許せないのは、成功を続けた人にほど見られるようです。
 でもそれは現実的でないし、幼子のすることです。そして、長い目で見れば、心も懐も貧しくなっていく。

 私たちに求められるのは、待つこと、希望をもつこと、信じることを通じた成熟である、というのが、この本の大きなテーマである、と感じたのでした。

2013年1月3日木曜日

分け合う心

 今朝の讀賣、社会面から。
 確かに、儲かっている会社ほど殺伐としていて、意外にみんな幸せじゃないな、と思ったことがあります。

 分け合う心にこそ幸福があるのかもしれませんね。

チームの喜び

 私は、働くことはボランティア、つまり主体的、自主的なものだと考えています。

 金を稼ぐため、母親を喜ばせるため、親父に認められるため、お客の喜ぶ顔を見るため、自分自身の成長を感じるためなど様々な理由はあります。
でも、いずれも自分の理由という点で共通しています。ですから、それを「言われているからやっている」などと考えるのは、何とも惜しい。仕事で何かが得られるわけじゃないから、といって別に熱中できるものを探しているなんて、あまりにも残念なことです。

 なかには、働くこと自体が喜びとなってしまうことがあります。働くことを通じて新しい自分と出会う。思いがけない力を発揮する自分、発見する喜びに感動する自分。そんな体験が働く目的になったらしめたものです。そこには何の見返りも求めない、真のボランティア精神があります。

 そのような体験を一人でするのは難しいものです。でも仲間がいれば、手が届く、それが私たちが目指すチームです。私たちは積極的にチームに加わり、チームを形成し、チームに参加していかなければなりません。また仲間にチームを体験させなければなりません。それが真の喜びにつながるのですから。

2013年1月1日火曜日

新年を迎えて

 新年あけましておめでとうございます。

 新しい年は、アメリカが財政の崖を回避できるかどうか、という厳しい局面からスタートしました。どうやら、転落は回避できそうです。民主、共和両党が、協議の末に歩み寄り、危機を乗り切ったことに安堵するとともに、感心しています。支持者からは、厳しい突き上げがあったに違いありませんから、最後は共通の利益に焦点づけるしかありません。転落は避けたい、まあ当然ですが、中には転落しても、自分の主張を通したい人もいるから大変です。

 今年はどうなるか。基本的に世の中は複雑さをましていくでしょうから、利害の衝突も激しくなるでしょう。エネルギー資源の採掘技術の飛躍的向上によって領土紛争が激しくなるように、技術革新によって今まで顕在化しなかった問題が、明らかになる気がします。
 金融緩和も度が過ぎれば国際紛争になります。新興国は追い詰められ、身動きが取れなくなれば、反撃せざるをえなくなるかもしれません。

 こんな状況でこそ、ひとびとの知恵が問われます。
 そもそも今、われわれに何が求められるのか。そのビジョンを描き共有すること。
そして、ビジョンの実現のために、いかに献身するか。
艱難にあったとき怖れない心と、恥に耐える心があれば、目標を見誤らないで、前に進めるでしょう。

 私のビジョンは、広く社会が資源を共有し、紛争を回避しうる世界の実現です。奪い合うのでなく、与え合う社会ですね。それによって、様々な問題解決と課題の達成を果たしている姿を描きます。

 それには、自分がそうしていないと。そのためのベストを尽くしたいと誓っています。

 みなさんにとって、今年1年、素晴らしい年になりますように!