私の取り組んでいる課題は、前回書いたような“上司と部下の奇妙な結託”から、上司、部下が解放され、それぞれが持っている力を思うように、自在に発揮できるようになることです。
では、どのように解放されるのか。まず、思うように力を発揮できない不満やいらだちを、それぞれが認めることから始まります。例えば、上司に対する愚痴を口にしている自分に気付くことから始めます。私たちは何かおかしいと感じても、それに向き合わないでやり過ごしてしまうことがしばしばあります。優秀な従業員を雇用している会社では、「ウチの従業員には何も問題はない」と聞きます。そう思いたいのはわかりますが、不満や違和感を感じているとしたら、せめて自分には嘘を言うべきではないでしょう。
次に、その原因は、過度に上司の期待に応えようとする部下と、自分の知識の範囲を超えまいとする上司の「奇妙な結託」にあるかもしれない、と考えてみます。
するとこの結託のきっかけが、自分に誤りがあって恥をかくのではないか、自分の無能さをさらけ出すのではないかという不安。意見の対立から摩擦が起こり、不愉快な思いをするのではないか、上司と対立して役割を外されるのではないかという怖れなどにあると、気付くでしょう。そして、自分自身の心の中にどこか妄想的なストーリーが見えてくるかもしれません。例えば、本当に「無能さをさらけ出す」のでしょうか。現実にはそれほど気にする人はいないはずです。仮に無能さをさらけ出すことになったとしても、今取り組まなければならない仕事の価値に比べれば、小さな問題に過ぎません。使命感の欠如の裏返しといえるでしょう。少し冷静になれば、自分でも可笑しくなってくると思います。
こうして問題のきっかけは奇妙な結託、本質は自分自身にあることを認めれば、それこそが解決の糸口となります。
どう解決できるか。ふたつの方策があると思います。ひとつは、行動することです。リスクを冒して、自分が見ている事実を伝えること。自分の持っている知識や技術を惜しみなく開示し、組織の利益のために使うこと。さらには、上司を含む関係者の利益を考慮し、自分にできることに取り組むことなどです。私は、翻訳させていただいた「影響力の法則」という本の中に、具体的な戦術を見いだしています。それは、共通の利害を掴むことと、そのための資源(カレンシー)を出し合えるようにすることです。
また、先に進めるためには決定したことに責任感をもつことも重要です。積極的に意思決定に関わっていくことが責任感をもつカギでもあります。意思決定に参画することを学ばなければなりません。
そうして、結託することよりも、結果に目が向くようになります。
一方で、結果を得ることの大義を知る必要もあります。先日電装品メーカーの方たちと話していて、これだけ通信が発達した現在、私たちの仕事は岐路に立っている、と聞きました。それを聞いた私は、「みなさんが世界の通信環境を改善したから、人々がつながったんじゃありませんか。世界の紛争地帯は、ネット環境のないエリアが多い、そればかりと言っていい。みなさんの努力が、紛争を回避し世界に平和をもたらしているんでしょう。そのための挑戦なら、まだまだ取り組まなければならない課題があるはずですよ」と返しました。すると、彼らの顔が明るくなり、エネルギーが漲ってくるように感じられたのです。
結果に目を向けるには、得たい結果が魅力的でなければなりません。事業の本質的な課題は、ほとんどが道半ばなのではないでしょうか。例えば、自動車を普及する、ということは達成してしまったように見えますが、人々の移動と交流を促進することは、ずっと続く事業のはずです。本質的な課題に向かえば、使命感とエネルギーはより高まってくる。やる気がない部下には、本質が見えないのだろうと思います。だから、大きな仕事を任せられなくて、ますますやる気がなくなる。もったいない話です。
ひとりひとりが、事業の本質を自らの責任で見いださなければなりません。そのためにも、各々がよく意思疎通して、事業の使命を理解しなければなりません。
行動する(カレンシーの交換)こと、使命の理解とも、上司がしてくれるとは限りません。私たちの誰もが、取り組んでいかなければならないのです。上司もそうです。部下は黙っていても会社の方針をわかっているとは思ってはなりません。わかっていても、リスクを冒して本音を言わない上司には、とぼけた顔をするでしょう。自分ひとりにリスクを押しつけられるのはごめんですから。
部下が自由に仕事しようと思ったら、上述のように上司と部下のゲームを変えることこそが肝要です。