2020年3月31日火曜日

共同型意思決定と納得

 2010年にコーエン、ブラッドフォード「Power Up 責任共有のリーダーシップ」(髙嶋&髙嶋訳 税務経理協会 原題 Power Up Transforming OrganizationThrough Shared Leadership)を出しました。これはシェアードリーダーシップ(共有型リーダーシップ)の実践について、日本で初めて紹介された本だと思います(当時慶應義塾大学ビジネススクールの髙木晴夫先生にそのように言ってもらいました)。シェアードリーダーシップとは、みんながリーダーシップを発揮して、難局に取り組むリーダーシップのアプローチです。したがって、リーダーの課題はメンバーにもリーダーシップを発揮させることになります。

 その中で、リーダーの意思決定について4類型が紹介されています。単独型(Autonomy)、協議型(Consultative)、共同型(Joint)、委任型(Delegated)です。これらは状況に応じて適切に使い分けることが必要だと、本書には書かれています。他の意思決定関係の著書でも大体同じようなことが言われていると思います。

 日本では、ウィルソンラーニング社の「LFG 成長にリーダーシップ」と、私の会社(インフルエンス・テクノロジーLLC)が提供する「ビジョン・ドリブン・チーム」で、"Power Up"の実践を学べます。私は10年あまりにわたって、これらのコースを、ビジネスや非営利事業の現場のリーダー、トップマネジメントに提供してきました。その経験からいくつかのことを学ぶことができました。

 どの意思決定方法が難しいかと聞くと、多くの方は「共同型」だといいます。「異なる意見をまとめられない」「時間がかかりすぎる」「意見を言わない若手が多い」などと聞いてきました。

 この決定方法では、「関係者が意思決定に納得」して決めす。この方法の利点は、答えがない問いに対して、さまざまな専門家が関与することで取り組めるようになることと、関係者が納得しているから、実行のレベルが高まる点にあります(いわゆる「モチベーションが高い」のは、私が見るところ多くの場合、納得していることを指しています)。この方法が重要になってきているのは、新しい課題が次々に押し寄せるようになったことと、問題が複雑になり、さまざまな立場から人々が参加するようになっていること。

 新しい課題、複雑な課題には、一部の経験者だけでは解決できません。過去の経験が役立つならそれでもいいのですが、今までにない問題を解決しなければならないときには、過去の経験が邪魔をすることすらあります。その代わりに、異なる分野の専門家の知見が必要になります。でもそんな専門家が集まると、意見が分かれます(クルーズ船の対応で専門家が乗り込んだためにかえって混乱したことがありました)。なかなか決まらない。急がなければならないので、異論を排除しなければならなくなる。一部の(あるいは多くの)人にとっては、納得できないままに物事が決まってしまう。みんなが納得していないと、いざ実行段階に入って機敏に動かない。納得していない人たちは、人ごとだと思うから、どこか他人任せで当事者意識が低いわけです。結果、遅れや品質の問題が起こります(日本の開発の現場にはとても多いように思います)。だったら、一部の人で決めてしまった方がいい・・・ こういうジレンマに陥るというのが、コーエン先生とブラッドフォード先生の問題意識です。

 そこで考えたいのは、納得という言葉です。

 私は多くの方に誤解があると思います。納得というのはみんなが同じ考えになることだと思っている人が多い。でもそれはちがいます。

 納得とは、同じ目標に向かって、複数の側面から物事を検討し、現時点での解に合意することです。

 考えは違ってもいいのです。価値観が異なってもいい。でも、ある目標に対して、関係者が見ている現実を持ち寄って、可能性を検討し、そのなかからより現実的な解をつくっていく。

 「わかった、今はそれでいきましょう」「あなたが考えていることも、重要なのはわかっている。だからこの先の状況を見てもう一度検討します。それでいいですか?」「わかりました。あなたの決定を尊重します。でもこの先の変化に注意していきましょう」というようなやりとりがあって、意見が異なる人もそのときの決定にコミットできるようにする。

 ところが、現場で起こっていることは、みんなが同じ考えになるまで話し合おうとして(無理です)、延々と時間を無駄にするか、途中から(あるいは最初から)異論のある人を排除して、一部のメンバーで決めてしまうか。だから多くの人が難しいと感じているんだと思います。

 こんなことをまた書いているのも、感染症対策のさまざまな意思決定がどのように行われているかを想像するからです。私は今回の新しい課題に対して、刻々と状況が変化していくなかで、早く決定する、柔軟に変化することが重要でしょう。そこで鍵になっているのは、納得して動くこと、納得させることです。

 報道を見た印象では、当初は混乱していたのが、さまざまな専門家が機能するようになってきているのかな、と思います。厚労省の関係者は、多くの専門家に直接電話して意見を求めているに違いありません(あくまでも想像です)。電話が来た人は話せただけでもいくらかなりとも納得する(たぶん)。

 一方、多くの市民がいまだに夜毎に居酒屋でストレスを発散しているところを見聞きすると、はやく国民を当事者として巻き込む必要があると思います。要するに、外出してはいけないと納得させる必要があるということです。現状では、国民のほとんどはまだ他人ごとだと思います。外出自粛なんて納得していない。

 でも納得していれば、欧米の都市のようにより強力な都市封鎖にも協力するはずです。それで政権崩壊にはならないでしょう。特別国債を発行して日銀に買わせても、文句を言わないでしょう(それで200兆円ぐらいの支援策を捻出してほしいです。そうしないと、来年の生活崩壊が怖くて仕事を休めません)。もっと納得できるだけの情報を提供するべきだと思うし、一方国民はメッセージに耳を傾けるなければなりません。「好き嫌い」は横に置いて。
なんで、こうなってしまうのか。これを読んで勉強します。

2020年3月13日金曜日

不安と心配

 感染症禍で、各方面で動揺がひろがっています。動揺にともなう反応もさまざまですね。「入国禁止」「株価の乱高下」「トイレットペーパーの買い占め」「アジア人に対する差別」などなど。トイレットペーパーは世界中で買いあさられているといい、アメリカでは、銃の弾薬が売れているそうです。

 私は、大学院での専攻がカウンセリングでした。私の恩師は、日本に「カウンセリング心理学」を紹介した國分康孝先生です。その先生が日本に紹介した「論理療法(Rational Emotive Behavior Cognitive Therapy)」に魅せられていました。そして、1996年と2002年の2度、ニューヨークのアルバート・エリス先生の研究所を訪ね、トレーニングに参加したのです。

 ニューヨークは東京と同様、とてもスピードが速くて落ち着きがない街という印象を受けました。だからこそ、カウンセリングが発達したわけです。人口の移動が激しくなった20世紀の初めには、すでに信仰(宗教)が衰退し始めていたという事情もあります。大都市に移住してきた人々は、心の拠り所を失っていたのです。そういうわけなのか、思いがけない事情で相談を受けに来る人が多いのに驚いたものです。日本では、心理学者にたよるのは、“鬱”のときが多かった。ところがアメリカでは、「肥満」や「禿」、「弱々しく見える自分」が多かったのです。なんて軽いんだと驚いたのです(もっとも今では日本も変わってきているでしょう)。そんなニューヨークの研究所には、多くのカウンセラーが世界中からトレーニングを受けに集まっていました。

 私が印象的だったことのひとつは、「問題は、二次的な感情」だという話です。

 例えば、「来週試験がある。一生懸命勉強したけれども、心配だ。私はあがり症だ。きっと試験の本番になったら緊張してしまって、手が震えるだろう。頭の中が真っ白になるかもしれない。そんなことを考えていると夜も眠れないほど、不安なんです」という訴えがあるとします。この場合、一時的な感情は、「来週の試験が心配」であることです。この心配は、concernを訳しています。それに対して、「頭が真っ白になる自分を想像して、夜も眠れないほど不安」なのが、二次的な感情です。こちらは、anxiousです。心配している自分に動揺して不安になってしまうのが、二次的な感情だというのです。

 人間は動物で危険から身構えるようにできている。だから、心配するのは当然だ。一方で、人間は脳が発達して創造力がたくましくなっているので、心配する自分に不安になってしまう。続けば鬱(depression)になる。それは少しもいいことでがない。だから、まずは心配する自分を受け入れるところから始めなさいというのです。

 ほとんどの不安は、心配する自分を許容できれば解消する。実際カウンセリングのデモンストレーションでは、確かに不安のほとんどが、自分自身の感情に対する認識を改めることで溶解していきました。

 現在のように、パンデミックが叫ばれ、「死者が激増」とか「株価が暴落」と聞くと、私たちがこの先心配するのは当然です。多くの方が感染症で亡くなり、経済もしばらく停滞するでしょう。心配するのは当然なのです。身を守らなければならないのですから。だからといって、心配する自分に動揺し、不安を感じるようなことは避けなければなりません。不安をエスカレートさせない代わりに、自分と自分の近くにひっそりと暮らしている、弱い立場の人たちを守ることを考えていくこと。必要なときには、声をあげて助けを求めること、感情的になっている人たちの目を覚まさせること、など、できることに取り組んでいかなければならない。自分はそうしていこうと思っています。
 

2020年3月12日木曜日

交換の停滞

 世界中でCOVID-19禍で混沌としています。株式市場も原油価格も大幅下落。つまり近い将来、企業活動は停滞し、石油消費も減ると市場が見ているわけです。イタリアでは全土で移動禁止命令が出たとか。コンテ首相は医薬品と食料品の購入以外の目的で外出することを禁じたそうです。報道を見る限り、街は人出が少なく静まりかえっています(そういう場所もあるということ)。

 消費が減る、生産が減る、市場が縮小する、人と人が会わなくなる。このような様子を見ると、「交換」が停滞するとどうなるか、よくわかります。弱い立場にいる人たちは、生存の危機にさらされるかもしれない。食料が届かない、生活物資が得られないと言う人たちも、すでに世界ではかなりの数に上るはずです。しばらくの間、多くの人々は不安に駆られるでしょう。

 「影響力の法則」では、恐れや不安によって、ネガティブな交換がはじまると警告しています。このようなときこそ、サービスと消費を過剰に控えないだけでなく、人の不安や恐れに耳を傾け、交換を止めないようにしなければと思います。
(リンクはafp通信の3月11日の記事)

 https://www.afpbb.com/articles/-/3272933?cx_part=search

2020年3月5日木曜日

行き着きたいところはあるか

 最近、日本の会社の管理職の方々と相次いでお話しする機会があり、戸惑わされました。「残業時間を減らす」とか「作業工数を減らす」とか。大事なことなのだろうだとは思いますが、うーん、何か違うよなあ。それが目標ですか?

 あらためて、「目標って何だっけ?」と考えさせられました。

 目標とは、「そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの」「行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準」(『大辞林』)だそうです。この定義は面白いですね。「目標」は、「目印」であり「水準」であって、目標自体が行き着くところではないというわけです。他に行き着きたいところがあるのだけれども、道を外れないためには、目印や水準が示される必要があるということですね。だから、「行き着きたいところ」がないところに、目標はあり得ないのです。

 私が違うと感じたのは、お話をした管理職のみなさんには「行き着きたいところ」がないと思えたからです。でもきっとこんなことが、日本の会社では、役所でも、社会全体でも、普通なんじゃないか。感染症禍に対する各方面の場当たり的な対応を見ていると、そんな気がしてしまいます。だとしたら、影響力を発揮する必然はないんです。ともに達成したい「行き着きたいところ」がなければ、味方は不要なんですから。ひとりで行けばいいんです。

 今の感染症禍のおかげで、私たちの生き方が問われていると思いました。



 

 

2019年4月7日日曜日

たったひとつのこと

新著が6月に上梓される予定です。「影響力の法則」の入門編です。
影響力の法則を翻訳してから12年。おかげさまで、コンサルティングや研修、実践を通じて、現場の課題を学んできました。
その経験をフィードバックして、みなさんのビジネスや地域活動に役立てていただこうというものです。

まわりをうまく巻き込んで、ラクに仕事している人たちには、共通して取り組んでいることがあります。それもたったひとつです。

これまで仕事したことがない人、うまくいかなくなってしまった人、無理を頼まねければならない時、そんなときに、彼らがしているたったひとつのこと。
それは、「交換の起動」です。

多くの人たちは、交換の流れができるのを待っています。誰かが動くのをみて、それに反応する形で交換を始めている。対して彼らは、こちらから交換を仕掛けていきます。
うまくいかない時は、交換が滞っているものです。馴れ合いになっている夫婦を(夫婦でなくても友人関係でも、顧客との間でも)想像してみてください。出会った頃にはあんなに目を見つめあっていたりしていたのに、今では返事も上の空(あくまでも想像です)です。こんなとき、誕生日を夫が覚えているかどうか、試してみたくなったりします。
これは同僚やお客様との間でも同様のことが起こります。これまでの経緯があればなおさらです。

でも、人を巻き込める人は、交換を起動する。
この違いが大きいんです。

「交換の起動」が、今回のテーマです。
起動する考え方と方法も書きました。
日本中で交換が起動されれば、イノベーションが促されるはずです!

乞うご期待!
よろしくお願いいたします!

2018年12月14日金曜日

みんながやっているから。

ベトナムのマネジャーたちにチームマネジメントの研修を行い、その反応ぶりに感心したのは今年の夏。現地の社長から目に見えて組織の効果が向上したと聞き、いくらかは役立てただろうと喜んでいます。

それ以上に日本のマネジャーのことが心配。
彼の国ではみんな習ったことを早速実践し、試行錯誤して自分のものにしていきます。この夏、昨年からの進展ぶりに驚いたものです。
それに対して、日本のマネジャーで研修で聞いた話をすぐに実践する人は、必ずしも多くないんですよ。ベトナムよりもずっと少ない。
たとえ権威のある先生の話でも、日本のマネジャーは鵜呑みにしません。人事で研修を仕切っていた時に見てきた経験からはそう思います。例えば、ある大学教授から「みんな(マネジャーたち)が真剣に学ばない」とクレームがあって、研究室に作戦を立てに行ったことがあります。

変化の閾値はどの辺りでしょう。
研修内容の良し悪しを判断してなのか…。あまり関係ないかもしれません。
私の感覚では「同僚の3分の1ぐらいが何かやっている」と察知した時に、ようやくざわざわしてきて、半分ぐらいになると突然変わる。そんな感じです。みんなが動くまでは待っているんです。結果動き出しが遅い。(変化が遅いのは企業が社員研修、特に管理職に研修の投資をしない理由になっている)日本の多くのマネジャーにとって学びの最大の動機は、みんながやるから!?

ベトナムのマネジャーたちは、変化を起こすために学びが必要だからと考えています。でも日本では、みんながやるからやる、という人が多い。

それゆえに、現場に変化を起こしたいと考える講師にも「影響力の法則」が必要なんです。影響力を発揮して行動に移させなければなりません。そのとき役立つカレンシーは、「みんなやっていますよ」だったりします。実際、そう言っている人は多いと思います。


ベトナムからは来年もやって、と依頼されています。来年もベトナムは楽しみだな。でもきっと日本のことがもっと心配になるだろうな。

注 変化の閾値は、個人差、会社による個体差、その状況による差があります。研修がつまらないこともあります。

2018年12月12日水曜日

求めること

影響力を発揮できるかどうかは、そもそも求めるもの、求めることが明確であるのが前提です。不明確なときは、影響力もどこかインパクトが弱いままです。

ある会社のマネジャーたちと話していて、多くが部下に何を求めたいのかはっきりしていない。漫然と部下が努力することを要求している。おそらく部下は、何かよく分からなくて混乱している。これでは、上司は部下に地位の力を誇示しているだけ、と言われても仕方ありません。ひどいときは、パワハラになってしまう。

今、ビジネスの環境は厳しさを増しているから、組織はより戦略的でなければなりません。そのなかで、上司は過去の延長線上にない取り組みを、部下に求めているはずです。その方向性が示されなければ、影響力は発揮されない。これは、お客に対しても同じこと。これまでの取引を越えた取り組みを求めるから、影響力が必要なんです。

誰に何を求めますか?