2015年11月25日水曜日

変革を進める首長

 先日、ある自治体の首長さんからお話を伺う機会がありました。

 今は、多くの自治体が財政の危機に瀕しており、これまでの行政を見直さなければいけません。こちらも例に漏れず大なたを振るう必要があったそうです。
 
 でも、役所の幹部、現場、市民の間に、変革への抵抗は少なくなく、なにかやろうとするたびに横やりが。それの都度果敢に取り組んできたこの方は、よく話を聞いてみるとカレンシーの交換を駆使して、抵抗者を味方に引き入れていきました。

 彼が使ったカレンシーには、他のよりよい選択肢、ビジョン、理解、共感、励まし、処遇、予算、改革のムード、世間の注目など、様々です。感心したのは、相手を動かそうとするときに、一方的に指示を出したりせずに、かならず「交換」を持ちかけていることです。

 外部から飛び込んだ首長の仕事ぶりは、多くのプロジェクトリーダーの参考になると思いました。
(東京湾を貨物船が行き来しています。本文とは関係ありません)

2015年11月17日火曜日

ヒロイックな自分

 リーダーのポジションに就くと、なにかと“ヒロイック”に振る舞いたくなります。

 “ヒロイック”とは、“英雄的な”という意味。”かっこよく”といったニュアンスがあります。例えば、自分は部下よりも物事を知っている、という顔をするなどがあてはまります。

 ある現場のリーダーが、私に告白してくれました。メンバーと会話するとき、自分が判断する材料だけを集めようとして聞いていたと。でも、そのぶん、メンバーの話を最後まで聞いていなかった。だから、メンバーは積極的に意見を言わなかったんだ!と。

 ヒロイックなリーダーシップは、ともするとメンバーの自発性を奪ってしまいます。メンバーの方が「決めるのはリーダー」と思い込んでしまい、チームに対する責任感が希薄になってくるからです。

 この若いリーダーは、自分が「決断するリーダー」というイメージを持って、“ヒロイック”に振る舞っていることに気づきました。

 ヒロイックな自分に気づけるのは、ちょっとすごいことだな、と思いました。

(本文と関係ないこの写真は、先日訪れた広島で撮った「原爆ドーム」)

2015年11月15日日曜日

派閥をつくろう

 アラン・コーエン&デビッド・ブラッドフォード著「Power Up 責任共有のリーダーシップ」(2010年 税務経理協会)は、チームリーダーシップの古典的な手引きです。上司部下の関係を越えた集団、例えば部門横断的なチームやプロジェクト、地域活動など、様々な目的のために期間限定で集まったチームをどうマネジメントしていくかという点で、多くのリーダーに示唆を与えてきました。

 このなかに、チームの発達段階をマネジメントする、というのがあるのです。チームは、メンバーが集まってきてから、結束して本当に目的のために機能するようになるまで、変化します。最初にメンバーが招集されて顔合わせしたときは、ぎこちない、緊張した雰囲気なのが、打ち解けていきますよね。さらに、メンバーのエネルギーが高まって、目標達成のための高度な協力関係もできてきます。例えば、すばらしいプレイを見せてくれたラグビーの日本代表チームは、ワールドカップの舞台で本物のチームだった、と思いますが、最初はそうではなかったはずです。チームは、発達するのです。
 そこで、一般にはこの発達をタックマンモデルという4段階で示します。「Forming 形成」「Storming 混乱」「Norming 規範」「Performing 遂行」です。メンバーが集められ、意見の違いが表面化し、やがてひとつの方向を向く。そのうえで、結束して力を発揮する、といったプロセスです。でも、「Power Up」では、これに1段階を加えて5段階にしているのです。FormingとStorming(これらの表現は微妙に異なって、Membership 、Conflictです)の間に、第2段階として「Subgrouping」下位集団、まあ“派閥”という段階が加わっているのです。つまり、「チーム発達の5段階」です。

 著者たちによると、多くの集団が対立を避ける。だからなかなか「Conflict 不一致」に至らないままに、表面化しない派閥ができてしまう。実際に、私がプログラムであってきた多くのマネジャーのみなさんが、自分のチームがこの“第2段階”にいる、と答えます。意見の違いをはっきり表明せずに、陰で不満を言っているようなケースが多いということです。ちょっとおもしろいのは、アメリカでもそういうチームが多いということです。彼らは言いたいことをはっきり言いそうなものですが・・・。それでも、本当の問題はなかなか話されない。日本の組織では、なお難しいのかもしれません。「うちのメンバーは意見を言わない」「一部の声の大きいメンバーが牛耳っている」などと聞きますから。

 それで、この2段階を乗り越えるのが課題だ、ということになるのですが、最近、私はこの第2段階がとても大きな意味を持っていると感じています。なぜか。

 Subgroupサブグループは、意見が近い、立場が近い、出身が近い(笑)人たちからできてきます。そうして、何人かのサブグループができてくると、その中では、話が活発に交わされ、意見やアイデアが飛び交うようになります。サブグループの中が活性化して、ある観点からの問題洞察が深まり、アイデアやエネルギーがわいてくる。そんな話を、ひょっとしたら駅前の居酒屋でやっているのかもしれないけれども、そのような活性化、いいことじゃないですか!
 サブグループに入れないと孤独です。話し相手もあまりいない(笑)。話さないから、問題認識が深まらない。仲間の群れに入れないと、多くの動物は生きていけないそうですね。百獣の王ライオンの雄でも、群れを作れないと獲物を捕らえることもできない。多くは死んでしまうと聞いたことがあります。どんなに優秀な人でも、一人では力を存分に発揮できないでしょう。だから仲間が必要です。それを、仲間割れはよくない、派閥はだめだ、といって、派閥ができることを目の敵にしていたら、いつまでたっても発言しない、できない若者を抱えることになるのではありませんか。

 若い人には、派閥をつくってしまえ、ということにしました。よい志のあるところなら、そんな派閥に入ってもいい。そうして、力を発揮できる場、声を上げる場を作ろうと。そんな派閥を使って、自分の力をチームや組織全体におよぼせるようにしてみようと。

 もちろん、自分のサブグループの論理に甘んじていてはいけません。組織にとっての最善、社会の利益を考えなければ。でも、サブグループがあるからこその利点を買った方がいい、というのが私が最近、現場のマネジャーの嘆きを聴きながら思うところです。
(この写真は、本文と全く関係がありません。
コロラドの町からロッキーを見上げたらそこにあった雲。
おもしろい形でしょう?)

2015年10月20日火曜日

されどアイコンタクト

 ある会社の会議に陪席して、リーダーの会議進行の指導をさせていただいています。

 先日のあるマネジャーの会議運営は、工夫に富んでいて、いいなと思いました。参加者の発言を引き出すために、質問する、意見を求めるなどが効果を生んでいると思いました。

 でもそんな努力を無にしてしまう、彼の対応のまずさも感じました。
 それは、アイコンタクトです。

 何かを発言しようとするたびに、視線が下に行ってしまう。そして、そのまま左下の方を見て、部下の発言にコメントするのです。部下は、そんな彼の対応を知っているのだと思うのですが、彼の顔を見ないで話を聞いている。これは、理解していない、納得していないなという感じです。

 私は、アイコンタクトが重要だと聞かされてきたし、そう感じていますが、この日は久しぶりに再認識させられました。相手に及ぼすインパクトがアイコンタクトで左右されるのは、やはり本当だなと。

 なぜ、彼は相手を見ないで話したのでしょう。おそらく自信がなかったのだと思います。部下の状況を十分に理解していないし、自分のアドバイスが効果的かどうかも、本当はわからない。でも上司だからアドバイスしなければ、と無理していたのではないでしょうか。そのような自信のなさは、部下に伝わります。だから、部下も話半分で聞いている。

 アイコンタクトのことを、このマネジャーにフィードバックしました。すると、本人は自分が視線を相手から逸らせていることに気付いていませんでした。さらに、自分が部下よりも現場をわからないのは当然だ。だからわかっているかのように振る舞ってはいけない。むしろ、部下の報告から状況を理解してどう対応するかを一緒に考えよう、と提案。そのとき、このマネジャーの顔から少し安堵の表情が浮かんだのを感じました。

 その後、このマネジャーは、話すとき、話を聞くときは、相手の顔を見るようにしているそうです。その効果かどうかわかりませんが、少なくとも「会議が活性化してきた」、との報告を受けました。

 意見の交換には、アイコンタクトの交換が欠かせないと実感。たかがアイコンタクト、されどアイコンタクトですね。
(この写真は、記事の登場人物とは全く関係がありません。この人は発言者の話を真剣に聞いているように見えます。力が入りすぎているように見えるぐらいです)

2015年10月12日月曜日

ベテランを黙らせた若いマネージャー

 先日、ある会社の会議に陪席させてもらいました。会議がどの程度効果的に活用されているかを観察し、アドバイスするのが目的です。チームのリーダーとは、目標を設定し、リーダーがいかに会議をリードするか、どこで介入するかなどもあらかじめ打ち合わせました。会議では数人のメンバーが、各々の計画を話します。他のメンバーが意見を言って、チーム全体の行動計画を決めるのが目標です。

 リーダーの司会進行で会議は始まりました。メンバーのそれぞれが話をして他のメンバーが意見をいい、建設的な雰囲気で話が進んでいきます。会議もなかばを過ぎ、あるベテランのマネジャーが自分の計画を発表する順番になりました。話を聞くと、彼の担当する分野には明らかな問題がありました。でも問題があることを率直には説明できないため、どうしても言い訳がましくなります。すると、ますます問題があるのに本人が認めたくないように聞こえます。会議の出席者も、そのように感じているらしく、重苦しい雰囲気に包まれてきました。他のメンバーは、全員彼より若く、社歴も短い。リーダー自身も彼より若いのです。率直に意見を述べづらい雰囲気です。

 それでも、勇気のある若い担当者何人かから発言がありした。
「・・・した方がいいんじゃないですか?」
「・・・という方法もあると思うんですが?」
 それぞれ悪くない意見だと思いますが、ベテランの彼は、それらの意見に耳を貸しません。ことごとく「それは・・・だから無理」「そんなことは検討した。うまくいかない」と、切り捨てるのです。すると、発言したメンバーだけでなく他のメンバーも下を向いて黙ってしまう。ますます重苦しい雰囲気が広がります。それだけではなく、なぜか若手の発言を切り捨てるたびに、ベテランは胸を張り大きく見えるようになっていく。何も問題が解決していないのに、勝ち誇ったように見えるのです。彼にとっては、この会議を乗り越えること自体が問題だったのかもしれません。(外部の人間である私が、後ろで陪席していたのも一因でしょう)

 そこに、別の若手マネジャー(彼も会議の参加者で、リーダーを除けば他のメンバーはフラットな関係です)が、発言しました。
「・・・というやり方は、○○さん(ベテランのマネジャー)の目標達成のためにはよくないんじゃないかな。・・・に注意して、・・・に取り組んだ方がいいと思う。その方が、○○さんのためになりますよ」
 この表現に、ベテランのマネジャーは、少し動揺して見えました。でも、やはりそれは簡単じゃない、とか反論します。対して若手のマネジャーは、
「私は見ているわけじゃないからはっきり分からないけど、○○さんのためには、・・・の方がいいと思います」と繰り返します。
 二度三度このようなやりとりがあり、ベテランは黙りました。自分が投影しているスライドに目をやり、手元の資料に目を落とし、なにやら書き込んだのです。若手の意見に初めて耳を傾けたようでした。

 年功序列が崩れたとはいえ、組織では年長者に従い、発言は遠慮するという風土が今も続いています。多くのマネジャーが、年長の部下の扱いに悩んでいます。プロジェクトには、ベテランの専門家や、かつての上司までが紛れ込んでおり、プロジェクトリーダーを悩ませることがしばしばあります。しかし、課題への要求は厳しく複雑で、全員の力を必要としています。一人の力を引き出せないと、リーダー自身がその役割を引き受けなければならなくなってしまう。若いリーダーが彼らをチームメンバーとして機能させられなければならない状況です。若いリーダーのベテランに対する影響力は欠かせません。

 私は、この若いマネジャーの影響力に感心しました。この若いマネジャーのやり方は参考になります。

 キーワードは、「・・・・の方が、○○さんのためになる」です。同じ内容でも、自分のためになると感じたときに、提案はカレンシーになります。ただ、主張するだけでは、それは意見を言っているだけで、相手の心に届きません。他の若手に対して、この若手マネジャーは、「○○さんのためになる」と繰り返すことで、ベテランマネジャーの現状に対する見方を変えたのだと思います。彼は、若いマネジャーから「カレンシー」を受け取ったからです。このカレンシーの積み重ねが、人を動かします。だから、簡単に引き下がってはいけないなあ。


 「カレンシーの交換」には、ベテランも若手も関係ないのだと、あらためて思いました。

(写真は、東京都墨田区にある「セイコーミュージアム」に展示された17世紀清朝時代の日時計。見事に復元されています。セイコーホールディングスグループも清朝も日時計も本文とはまったく関係がありませんが、この博物館は時間の歴史を知るのにすばらしく、訪ねる価値あります。http://museum.seiko.co.jp/index.html)

2015年9月2日水曜日

相手に届いているか

 ここ数年、口をほとんど開けないで話す若者が気になります。発声不明瞭なので、話の中身がわからないだけでなく、日本語かどうかもわからない。それで会話が成り立っているのか心配になるのですが、大丈夫なんでしょうか?

 それが、先日はある管理職の方と話していて、同じように感じました。若者だけのことではないようなんです。

 「私は部下を認めている」「いい仕事ぶりは、褒めている」という方が、これ以上何をしろというんだ、言うのです。でも、多面評価の結果を見ると、部下は認められていると思っていません。それで、その管理職の方と話していてふと思ったのが、「これは届いていないな」ということです。なぜなら、この方、発声が不明瞭なんです。

 「カレンシー」は、相手に届かなければカレンシー(価値)になりませんよ。相手が受け取ったことを確認しなければ、売りっぱなしの製品と同じです。

 はっきり伝わる声で、相手の目を見て話しましょう。そして、部下の反応を確認してください。それだけで変わるかもしれませんよ、とお伝えしました。もちろん目を見て。

2015年8月28日金曜日

顧客の声

 京都に出張するといつも使うホテル。全国チェーンのビジネスホテルです。この八条口のホテル、気に入っています。

 というのは、最近いい部屋を用意してくれるのです。上階だとか広い部屋だとか、アップグレードしてくれる。部屋が快適だと気分はいいし、仕事もはかどります。でも、なぜかな。

 実は、一つ心当たりがあります。

 それは、数ヶ月前にこのホテルに宿泊した際、とても対応が良かった。それを、「お客様の声 支配人あて」(よく客室に備えられている調査用紙です)に書いて、チェックアウト時にフロントに提出したのです。「いい対応だった。また泊まりたい」と。それが効いているのかもしれません。

 だとしたら、楽しい「交換」だなと思って、ちょっと愉快な気分で過ごしました。

掃除道

 自動車用品販売「イエローハット」の創業者、鍵山秀三郎氏は、独自の清掃活動でも知られています。

 その鍵山氏の講演録『凡事徹底』(1994 致知出版)に、こんなエピソードがありました。

 毎日、会社とその周辺を箒と塵取りで掃除していた。そのうち、望んでいたわけではないのだが、お礼の品が届くようになった。都心の一等地のビルは、そうしてある方から譲り受けたものだ。

 すごい“交換”ですよね!

2015年8月18日火曜日

アドバイスを求める

 最近自転車に乗り始めています。20年ぶりぐらいでしょうか。まだ新しい自転車にも慣れるのに精一杯ですが、風を切る爽快感は格別ですね。

 私がお世話になっている自転車店の若い店主は、なかなか魅力的な若者です。彼に後押しされて始めたところも多分にあります。

 その彼に、「今度社用車を買おうと思っている。タカシマさんは自動車業界だから(正しくは元)よく知ってるでしょう、お勧めはないですか?」と尋ねられました。

 ほう、この店もクルマを持つんだ。自転車ライフを提案する店だから、ライフスタイルを想像できるようなクルマがいいんじゃないかなと思い、いくつかアイデアを伝えました。

 これが実はなかなか楽しい。私は元業界人だから、この分野はちょっと得意としています。自動車販売員の商品知識教育を担当していたので、他者の製品も含めていろいろ調べました。それ以来クルマの情報は蓄えられています。その得意分野が活きるのです。加えて、新しい店の発展に、客としてちょっとは貢献できるような気がする。

 彼も真剣に聞いてくれて、参考になりました、と別れた後は、自転車漕ぎながら少しいい気分になりました。相談されたことが、私にはカレンシーになったようです。
 
 相手が得意な話は聞いてみる。それで、参画意識も感じられるかもしれない。

 あなたも、部下や上司、友人に、彼らが得意とする何かを聞いてみたらいかがですか?


2015年8月15日土曜日

ならぬ堪忍、するが堪忍

 京都の心学修正舎は、石田梅岩の弟子、手島堵庵以来の心学講社です。この講社では、毎月1回石門心学を学ぶ会「会輔」が行われており、名門商家の京町屋で開催される会輔に、私もこの春からときどき参加しています。

 初めて参加した時、講師の後藤一成先生が「あれを見てください。「堪忍」と書いてある」という先を見ると、鴨居に額があり「堪忍」とあります。
  「これは、商家がお客に『どうかそれ以上は無理を言わないでください。堪忍』、という意味で掲げています。だからお客の方を向いている。これが京都らしいものなんですよ。面白いでしょう」と言われる。
 これが、東京や大阪だと、お客に何を言われても我慢しよう、と自分の方に「堪忍」を向けて自分に言い聞かせるだろう、とおっしゃるのです。確かにそうかもしれません。東京人が、ひとり脂汗を流しながら、相手の無理難題に我慢する姿が思い浮かびます。京都では、我慢しないのでしょうか。おもしろい。だとしたら、相手に堪忍を求めるのは、長く取引を続ける上で、重要な商人の知恵だったに違いありません。

 「ならぬ堪忍、するが堪忍」は石門心学を広めた江戸中期の心学者、中沢道二の言葉です。堪忍とは困難を堪え忍ぶこと。「ならぬ堪忍、するが堪忍」には、本当に堪えられないと思うことを堪忍するのが、本当の堪忍ですよ、という意味があります。

 これを、「カレンシーの交換」で考えてみると、こちらもギリギリだけど、相手も苦しい。だから、最後のところで相手を追い詰めてはいけない。堪忍してやって、相手に逃げ道を残すことが、カレンシーとなる、ということです。相手は、逃がしてくれたと思うからです。その結果、取引(交換)の継続になる。一般的には、相手はなにか駆け引きをしているのではないか、と疑心暗鬼になりがちなのを、堪忍が働いていると認識することで乗り越えているようです。

 おそらく、京都の商人には、「お互いにギリギリまで努力している、そのうえで最後は堪忍してくれる」という暗黙のルールがあって、その信頼関係を取引の基盤にしてきたのでしょう。

 「堪忍」は、それ自体が「カレンシー」として機能しているのですね。
 今日は、終戦記念日。堪忍による平和と繁栄を思いました。

2015年3月3日火曜日

サム・ウォルトンの10カ条

   サム・ウォルトンは、「ウォルマート」の創業者です。すでに、1992年に73歳で他界しており、私には伝説の人物という印象です。「ウォルマート」社は世界最大の小売業者で、世界最大の株式会社。売り上げは約80兆円、従業員は220万人ですから、例えばトヨタやGMと比べても大きい組織です。日本では西友がウォルマートですね。

   この創業者の自伝「私のウォルマート商法」(講談社+α文庫)を読んでいるんですが、これがおもしろい。商人のあるべき姿を実践してきた人なんだろうと、思わされます。そんな話が、日本語の文庫で400ページにもなりますから、読み応えもあります。

   その自伝の最後の章に、成功のための10カ条」というのがあります。その中のいくつかは、経営者が部下や顧客、取引先との間で交わす「カレンシーの交換」そのものでした。
   以下がその各項です。

法則2 「利益をすべて従業員と分かち合いなさい」
金銭による報酬そのものよりも、「パートナーとして遇する」点を強調しているのにうなづきます。

法則3 「パートナーの意欲を引き出しなさい」
様々な刺激を与えること。競争や目標、点数をつけるなど。

法則4「パートナーと情報を共有しなさい」
社内の情報は、取引先企業には常に価値あるもの。思い切って共有しようということです。

法則5「誰かが会社のためになることをしたら、惜しみなく賞賛しなさい」
金銭だけではダメだと言っています。賞賛され感謝されるのが、部下にとっては大事だと。重要なポイントをついています。

法則6 「成功を祝い、失敗の中にユーモアを見つけなさい」
うまくいかないときは、馬鹿げた衣装を着て歌を歌うといい。みんなも歌いだすから。リラックスすることが大事ということですね。

法則7 「すべての従業員の意見に耳を傾けなさい」
組織の末端から責任と改善策をわき上がらせるには、話を聞かなければならないということです。ごもっともです。

法則8 「お客の期待を超えなさい」
そうすれば、お客は戻ってくる。そして問題があっても、言い訳してはいけないと。そんなことをしては、ネガティブカレンシーの応酬になりますからね。

    書いてあることは、あたりまえのことばかり。でもこのまま真似してもうまくいかないことが多いんじゃないでしょうか。ですから、みなさん一様に言われます。「理屈ではわかるけど、うまくいかないね」

   忘れてはならないのは、これらはウォルトンたちの長年の積み重ねのうちに実現したものだということです。小さな交換から、さまざまな交換を繰り返しているうちに、今のように繁栄するようになったんだろう、というのが、本書を読んでの感想です。

2015年2月18日水曜日

外部のリソースを巻き込む

    業界のリーディングカンパニーに勤務する女性リーダーにお話を伺う機会がありました。話してみると、明晰で有能な方という印象です。ふたりの子のお母さんでもあります。
    これまでにも優れた業績を上げてきているのですが、それらの仕事は、幼い子供たちに説明するのが難しい仕事だったので、これからは消費者に直接インパクトのある仕事をして、子供達にも話してあげたいのだと伺いました。今は、新しい分野に挑戦しているとのことですが、その希望をかなえて欲しいと思います。

   気になったのは、新しい分野に挑戦しようとしているのに、社外のリソースを取り込もうとしていないこと。同業、異業種を問わず外部のネットワークが少ないし、関連する学会にも入っていない。仕事と家庭の両輪をまわすのに精一杯なのかもしれません。

   でも、新しい分野に挑むときこそ、異分野の知識と知恵が必要ですから、人材の多様性が求められるものです。社内にはない視点を持つメンバーを、公式、非公式に巻き込めれば、それが彼女の「チーム」です。

   そして、そのような人材を惹きつけられるかどうかは、どんな「カレンシーの交換」を実現するか、にかかっているわけです。

   話を終えた彼女は表情も明るくなり、きっとお子さんたちに誇れる仕事をやり遂げるに違いない、と思いました。

2015年1月21日水曜日

厳しく温かい

    京都にある「松下資料館」を訪ね、PHPの渡邊編集長にご案内いただきました。見せていただいた資料に、松下幸之助の部下だった方たち(パナソニックグループの幹部)の、幸之助氏についての経験と思い出です。数人の幸之助談はみな共通していて、「怒ると血の気が引くほど恐ろしい。でもそのあと必ず配慮を感じること」でした。
    みなさんが同じような話をされるのは、そんな経験をくぐってきた人たちだから、幹部になったとも言えるし、期待した人たちだからそのような経験をしたとも言えます。明らかに「血の気が引く経験をして学んだことがあった」ようです。

    ここで思い出したのは、以前勤務したアメリカ系企業の社長が、"我が社は「厳しく温かい」会社だ"と言っていたこと。世の中には甘い上司が大勢いて、彼らはいざという時部下に冷たい。私はそんな会社を目指しているわけではない。私は厳しい、でも温かい、と言うのです。なるほど、厳しい水準を要求する方で、でも部下はついていた。結果、彼がトップだったときはずっと業績が良かったのです。

    「厳しい要求と、温かい配慮」は上司と部下の間で交わされる、基本的なカレンシーの交換です。優れた上司は、要求しているが、部下を尊重する。でも、今話をしているマネジャーたちは、要求しないか、配慮がないか、です。

    部下と交換されているカレンシーは、十分か?チェックしてみてはいかがでしょうか。

    ご案内いただいた渡邊編集長に、感謝します。

2015年1月1日木曜日

問題を認めること

    混み合った夕刻の東京行きの飛行機の機内で。
    私は、ようやく席にたどり着き、着席しようとしていました。そこに、強面の少し太ったお兄さんがやってきて、「そこ、違いますよ」と不機嫌そうに言います。急いで自分の座席と座席番号を確認。ああ、ひとつずれていたんですね。そして、「すみません」とわび、「私が間違えました」といいました。
    するとどうでしょう。その強面の男が、にっこり笑ったんです。とても満足そうでした。その反応に、私も笑顔を返したのはいうまでもありません。
    この時、私が感じたことは、「私が間違えました」のひとことが、相手の心に変化を生んだということです。おもしろいな、と思いました。彼は、私がわびたことではなく、間違えを認めたことに彼が反応したのですから。

    考えてみると、平謝りするくせに誠意が感じられない人は、本当は間違いを認めていない、と相手に感じさせてしまいます。本心は違うなと感じれば、信用しません。結果、相手はカレンシーを受け取ろうとしないでしょう。対して、間違いを認める人からは誠意が感じられます。また、間違いから学ぶので次は間違わないだろうと思われます。(そして、事実、間違いがなくなる確率が高まります)そういう態度をとると交換しやすく、よい関係が築けるでしょう。

     新年を迎え、あらためて、自分の問題や間違いに正直でありたいと思いました。そして、1年、より豊かな交換を通して、与えられた役割を果たしていこうと決意しました。

     本年も、どうぞよろしくお願いいたします。