先日、ある会社の会議に陪席させてもらいました。会議がどの程度効果的に活用されているかを観察し、アドバイスするのが目的です。チームのリーダーとは、目標を設定し、リーダーがいかに会議をリードするか、どこで介入するかなどもあらかじめ打ち合わせました。会議では数人のメンバーが、各々の計画を話します。他のメンバーが意見を言って、チーム全体の行動計画を決めるのが目標です。
リーダーの司会進行で会議は始まりました。メンバーのそれぞれが話をして他のメンバーが意見をいい、建設的な雰囲気で話が進んでいきます。会議もなかばを過ぎ、あるベテランのマネジャーが自分の計画を発表する順番になりました。話を聞くと、彼の担当する分野には明らかな問題がありました。でも問題があることを率直には説明できないため、どうしても言い訳がましくなります。すると、ますます問題があるのに本人が認めたくないように聞こえます。会議の出席者も、そのように感じているらしく、重苦しい雰囲気に包まれてきました。他のメンバーは、全員彼より若く、社歴も短い。リーダー自身も彼より若いのです。率直に意見を述べづらい雰囲気です。
それでも、勇気のある若い担当者何人かから発言がありした。
「・・・した方がいいんじゃないですか?」
「・・・という方法もあると思うんですが?」
それぞれ悪くない意見だと思いますが、ベテランの彼は、それらの意見に耳を貸しません。ことごとく「それは・・・だから無理」「そんなことは検討した。うまくいかない」と、切り捨てるのです。すると、発言したメンバーだけでなく他のメンバーも下を向いて黙ってしまう。ますます重苦しい雰囲気が広がります。それだけではなく、なぜか若手の発言を切り捨てるたびに、ベテランは胸を張り大きく見えるようになっていく。何も問題が解決していないのに、勝ち誇ったように見えるのです。彼にとっては、この会議を乗り越えること自体が問題だったのかもしれません。(外部の人間である私が、後ろで陪席していたのも一因でしょう)
そこに、別の若手マネジャー(彼も会議の参加者で、リーダーを除けば他のメンバーはフラットな関係です)が、発言しました。
「・・・というやり方は、○○さん(ベテランのマネジャー)の目標達成のためにはよくないんじゃないかな。・・・に注意して、・・・に取り組んだ方がいいと思う。その方が、○○さんのためになりますよ」
この表現に、ベテランのマネジャーは、少し動揺して見えました。でも、やはりそれは簡単じゃない、とか反論します。対して若手のマネジャーは、
「私は見ているわけじゃないからはっきり分からないけど、○○さんのためには、・・・の方がいいと思います」と繰り返します。
二度三度このようなやりとりがあり、ベテランは黙りました。自分が投影しているスライドに目をやり、手元の資料に目を落とし、なにやら書き込んだのです。若手の意見に初めて耳を傾けたようでした。
年功序列が崩れたとはいえ、組織では年長者に従い、発言は遠慮するという風土が今も続いています。多くのマネジャーが、年長の部下の扱いに悩んでいます。プロジェクトには、ベテランの専門家や、かつての上司までが紛れ込んでおり、プロジェクトリーダーを悩ませることがしばしばあります。しかし、課題への要求は厳しく複雑で、全員の力を必要としています。一人の力を引き出せないと、リーダー自身がその役割を引き受けなければならなくなってしまう。若いリーダーが彼らをチームメンバーとして機能させられなければならない状況です。若いリーダーのベテランに対する影響力は欠かせません。
私は、この若いマネジャーの影響力に感心しました。この若いマネジャーのやり方は参考になります。
キーワードは、「・・・・の方が、○○さんのためになる」です。同じ内容でも、自分のためになると感じたときに、提案はカレンシーになります。ただ、主張するだけでは、それは意見を言っているだけで、相手の心に届きません。他の若手に対して、この若手マネジャーは、「○○さんのためになる」と繰り返すことで、ベテランマネジャーの現状に対する見方を変えたのだと思います。彼は、若いマネジャーから「カレンシー」を受け取ったからです。このカレンシーの積み重ねが、人を動かします。だから、簡単に引き下がってはいけないなあ。
「カレンシーの交換」には、ベテランも若手も関係ないのだと、あらためて思いました。
(写真は、東京都墨田区にある「セイコーミュージアム」に展示された17世紀清朝時代の日時計。見事に復元されています。セイコーホールディングスグループも清朝も日時計も本文とはまったく関係がありませんが、この博物館は時間の歴史を知るのにすばらしく、訪ねる価値あります。http://museum.seiko.co.jp/index.html)
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