初めて参加した時、講師の後藤一成先生が「あれを見てください。「堪忍」と書いてある」という先を見ると、鴨居に額があり「堪忍」とあります。
「これは、商家がお客に『どうかそれ以上は無理を言わないでください。堪忍』、という意味で掲げています。だからお客の方を向いている。これが京都らしいものなんですよ。面白いでしょう」と言われる。
これが、東京や大阪だと、お客に何を言われても我慢しよう、と自分の方に「堪忍」を向けて自分に言い聞かせるだろう、とおっしゃるのです。確かにそうかもしれません。東京人が、ひとり脂汗を流しながら、相手の無理難題に我慢する姿が思い浮かびます。京都では、我慢しないのでしょうか。おもしろい。だとしたら、相手に堪忍を求めるのは、長く取引を続ける上で、重要な商人の知恵だったに違いありません。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」は石門心学を広めた江戸中期の心学者、中沢道二の言葉です。堪忍とは困難を堪え忍ぶこと。「ならぬ堪忍、するが堪忍」には、本当に堪えられないと思うことを堪忍するのが、本当の堪忍ですよ、という意味があります。
これを、「カレンシーの交換」で考えてみると、こちらもギリギリだけど、相手も苦しい。だから、最後のところで相手を追い詰めてはいけない。堪忍してやって、相手に逃げ道を残すことが、カレンシーとなる、ということです。相手は、逃がしてくれたと思うからです。その結果、取引(交換)の継続になる。一般的には、相手はなにか駆け引きをしているのではないか、と疑心暗鬼になりがちなのを、堪忍が働いていると認識することで乗り越えているようです。
おそらく、京都の商人には、「お互いにギリギリまで努力している、そのうえで最後は堪忍してくれる」という暗黙のルールがあって、その信頼関係を取引の基盤にしてきたのでしょう。
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