2020年3月13日金曜日

不安と心配

 感染症禍で、各方面で動揺がひろがっています。動揺にともなう反応もさまざまですね。「入国禁止」「株価の乱高下」「トイレットペーパーの買い占め」「アジア人に対する差別」などなど。トイレットペーパーは世界中で買いあさられているといい、アメリカでは、銃の弾薬が売れているそうです。

 私は、大学院での専攻がカウンセリングでした。私の恩師は、日本に「カウンセリング心理学」を紹介した國分康孝先生です。その先生が日本に紹介した「論理療法(Rational Emotive Behavior Cognitive Therapy)」に魅せられていました。そして、1996年と2002年の2度、ニューヨークのアルバート・エリス先生の研究所を訪ね、トレーニングに参加したのです。

 ニューヨークは東京と同様、とてもスピードが速くて落ち着きがない街という印象を受けました。だからこそ、カウンセリングが発達したわけです。人口の移動が激しくなった20世紀の初めには、すでに信仰(宗教)が衰退し始めていたという事情もあります。大都市に移住してきた人々は、心の拠り所を失っていたのです。そういうわけなのか、思いがけない事情で相談を受けに来る人が多いのに驚いたものです。日本では、心理学者にたよるのは、“鬱”のときが多かった。ところがアメリカでは、「肥満」や「禿」、「弱々しく見える自分」が多かったのです。なんて軽いんだと驚いたのです(もっとも今では日本も変わってきているでしょう)。そんなニューヨークの研究所には、多くのカウンセラーが世界中からトレーニングを受けに集まっていました。

 私が印象的だったことのひとつは、「問題は、二次的な感情」だという話です。

 例えば、「来週試験がある。一生懸命勉強したけれども、心配だ。私はあがり症だ。きっと試験の本番になったら緊張してしまって、手が震えるだろう。頭の中が真っ白になるかもしれない。そんなことを考えていると夜も眠れないほど、不安なんです」という訴えがあるとします。この場合、一時的な感情は、「来週の試験が心配」であることです。この心配は、concernを訳しています。それに対して、「頭が真っ白になる自分を想像して、夜も眠れないほど不安」なのが、二次的な感情です。こちらは、anxiousです。心配している自分に動揺して不安になってしまうのが、二次的な感情だというのです。

 人間は動物で危険から身構えるようにできている。だから、心配するのは当然だ。一方で、人間は脳が発達して創造力がたくましくなっているので、心配する自分に不安になってしまう。続けば鬱(depression)になる。それは少しもいいことでがない。だから、まずは心配する自分を受け入れるところから始めなさいというのです。

 ほとんどの不安は、心配する自分を許容できれば解消する。実際カウンセリングのデモンストレーションでは、確かに不安のほとんどが、自分自身の感情に対する認識を改めることで溶解していきました。

 現在のように、パンデミックが叫ばれ、「死者が激増」とか「株価が暴落」と聞くと、私たちがこの先心配するのは当然です。多くの方が感染症で亡くなり、経済もしばらく停滞するでしょう。心配するのは当然なのです。身を守らなければならないのですから。だからといって、心配する自分に動揺し、不安を感じるようなことは避けなければなりません。不安をエスカレートさせない代わりに、自分と自分の近くにひっそりと暮らしている、弱い立場の人たちを守ることを考えていくこと。必要なときには、声をあげて助けを求めること、感情的になっている人たちの目を覚まさせること、など、できることに取り組んでいかなければならない。自分はそうしていこうと思っています。
 

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