2013年1月6日日曜日

待つこと

 クリスマス、小学生の甥っ子に「モンテクリスト伯」をプレゼントしました。復讐の物語ですね。でも、自分は読んでいたか?自信がない。そこで、全部を読んでみることに。

 物語の説明は省略しますが、面白かった。子供へのプレゼントとしても、よいでしょう。正義は勝つ、というメッセージは子供には必要だと思います(悪は続かないも)。

 もっとも印象的なのは、最後にあった「待つこと、希望を持つこと」ということ。主人公モンテクリスト伯が助けるマクシミリアンは、恋人ヴァランティーヌが死んだと思い、生きる希望を失います。そこでモンテクリスト伯がマクシミリアンに伝えたのが、「待つこと、希望を持つこと」でした。実は、ヴァランティーヌの死は偽装。本当は生きています。私が印象的だったのは、だから本当のことを言ってもよさそうなものなのに、主人公は青年に「待つこと、希望を持つこと」「私を信じること」と言って励ますだけだったこと。恩人の息子に、死ぬような苦しみに耐えること、この大切さを学ばせるためだった、と示唆されています。

 私たちは、こちらからカレンシーを渡せば、すぐかえってくると考えがちです。とくにプレッシャーがかかってくると、すぐなんとかしてほしい。でも、時には待たなければいけません。待つのはつらい。収穫が夏を越え、台風をやり過ごし、秋になるように、結果はすぐでないこともすくなくありません。
 そんなときに、死ぬ思いをして待つ、その先に希望がある。そう信じられたら、カレンシーを与えることもできる、平たく言えば、がんばれるのですね。

 一方、待ちきれない人もいる。そうして続けていた努力をやめてしまう人もいるし、なかには自死する人もいる。これも、その人の立場から見れば、正当なのかもしれませんが、その背景にあるのは、欲しいものは手に入る、結果は得られるという考えではないか。思うようにならないので、諦めてしまう。何でも思うようにならないのが許せないのは、成功を続けた人にほど見られるようです。
 でもそれは現実的でないし、幼子のすることです。そして、長い目で見れば、心も懐も貧しくなっていく。

 私たちに求められるのは、待つこと、希望をもつこと、信じることを通じた成熟である、というのが、この本の大きなテーマである、と感じたのでした。

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