2017年1月14日土曜日

プロジェクト = 人生の投影

 ときどきマネジメントがない組織を見ることがあります。上意下達で指示・命令することがマネジメントだと、誤解しているのかと思います。

 私のマネジメントの定義はドラッカーにならっており、仕事のマネジメント、人のマネジメント、事業のマネジメント、マネジメントのマネジメントです。最終的には部下も含めて、組織全体がマネジメントできるようになるのが、「マネジメント」の目標です。

 そのマネジメントが欠如している会社のお話しを、ときどき伺うわけです。最近もそんなことがありました。そこであらためて思い出したのは、「プロジェクト」という言葉です。プロジェクトマネジメントのなかに、プロジェクトの提議がありますが、今回思い出したのは、ハイデガーの「プロジェクト」です。

 ハイデガーによると、多くの人びとは漫然と人生を生きている。その象徴的な行為が新聞を読むことで、新聞を読んだだけであたかも見てきたことのようにものを言ったり、意見する。今なら、テレビ?、ネットの情報に動かされて、一喜一憂しているような生き方ですね。しかし、あるとき現実を見て目を覚まし、やむにやまれぬ思いと決意を抱いて、行動におよぶ人がいる。彼は、ここで初めて自分を生きるわけですね。そんな仕事のことを20世紀ドイツの哲学者ハイデガーは「プロジェクト」と呼びました。

 ここで重要なことは、プロジェクトはその人の決意を投影(=プロジェクト)したものでなければならないということです。事実、私の知っている事業家や変革者の方たち、お話し伺うだけで震えるような感動を覚える生き方をしている人たちは、自分で事業を興していても、会社員であっても、人生を投入している。人生を投入というのは、労働時間が長くなるとかそれで追い詰められてうつになるとか、そういうことではありません。自分がとりくまなければならない、と切に感じている課題に取り組み、自分で人生をコントロールしている状態です。

 マネジメントって、この決意がなくてできるものではありません。人生をプロジェクトした仕事以外を、どうやってマネジメントするというのでしょうか?だからマネジメントがない、という会社には、従業員の事業に対する真摯な姿勢もない。例えば、過去の成功のうえにあぐらをかいているだけであって、子どもが見たら、王様は裸だと見破られてしまう程度のもののことが多いですよね。その被害を受けるのは、部下や顧客です。線表をひいてもこれは解決しません。

 こういいながら、自分自身の胸に手を当てて考えます。自分の決意が本物だろうかと。Yesと言えたときには、カレンシーの交換にも迫力がでると思いますよ。

2017年1月8日日曜日

それでは上司以上のことはできませんよ

 新しい年を、どのようにお迎えでしょうか。私はいつものように正月のルーティーンをすませ、今年一年を展望しました。この気持ちを忘れずにやっていきたいと思います。

 本年もよろしくお願いいたします。

 年末に、システム開発に携わる若い現場のリーダーにお話しを伺いました。若いと言っても30代後半ぐらいですから、会社の中では現場のリーダー、マネジャーとして力を発揮する時期なのだと思います。事実話をしてみると「有能なエンジニア」という印象でした。

   そんな彼から、「うちではほとんどのことを上司が決める」と聞かされて思わず聞き返してしまいました。

「え、いまなんて言いました?」

 改めて説明してくれたことには、チームの技術的な方向性を上司が部下に相談なく決めているというのです。さらに聞いてみると、この上司の方はこの業界で長く成功してきた技術者で実力者で、これまでにも会社の重要なプロジェクトを任されてきており、知識も経験も豊富。

「私たちには敵いませんから」

 と言うのです。だから、チームの問題を決めるのはリーダーに任せるのは仕方がない、と言わんばかりです。

 これでいいんでしょうか?

 リーダーが何でも決めてしまうということは、リーダーが分かる範囲でしか物事が決まらないということです。その結果、過去を踏襲するような保守的な決定しかできなくなり、リーダーの知識や経験以上のことが生まれなくなるわけです。

 事実その会社の事業は、長く業績が低迷しています。あたらしいことに取り組もうとしても、なかなか決まらない、とこの若いリーダーも認めていました。

 意思決定にメンバーを巻き込めないことの問題は、思った以上に大きいのだと感じました。